◆女性の社会進出と“取り残された男性”の構図
現代では、小学校から、みんな仲よく、勉強もスポーツも頑張って、いい職業に就いて、自分の望んだ人生を実現させましょう、ということが教えられます。
当然のことながら、その考え方自体には何も問題はありません。けれども、それは主に女子の活躍を後押しする方向に働いており、学業や雇用のデータにおいても顕著にあらわれている。イギリスのベストセラー『Of Boys and Men』という本は、“男”であること自体が、肩身の狭い思いを強いられる世の中であることが数字の上でも明らかになってきていると指摘しています。
また、アン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロの映画『マイ・インターン』では、ハサウェイ演じるオンラインファッションのCEOが自社のいかにもオタク、服もヨレヨレで非モテな男性社員に向かって、酔っ払いながらこう言い放つシーンがありました。
<私たち女は何者にもなれるし、したいことは何でもできると教わってきた。でも、そのせいで男の子たちのことがおろそかになってしまったのかもしれない。>
この映画の監督と脚本を手掛けたナンシー・マイヤーズは、まさに女性の視点から男性に対する教育が不十分であることを訴えたのです。
『男磨きハウス』にここまで深刻な問題意識があるかはわかりませんが、少なくとも時代の空気を一定程度すくい取っていることは言えます。
◆“弱者男性”を笑う構造に潜む、視聴者側の陰湿さ
非モテ男性という異物をモチーフにここまで過激に面白い番組が作れるということは、男という概念が時代に放置され、手つかずのまま劣化したインフラになっていることの裏返しでもあるからです。しかし、一方で気になる点もあります。それは、経済的な閉塞感に見舞われている日本人が、安心安全に憂さ晴らしできる対象として、弱者男性にターゲットを絞った可能性です。これは番組自体というよりも、視聴者側の抱える問題です。その現代的な陰湿さのひとつの象徴として、『男磨きハウス』を消費する態度にあらわれているのではないかということですね。
彼らは何を言われても反撃しないし、反撃しようとしたところで、根拠となる力を持っていません。弱者男性には手持ちのカードがないと見切った状態の上に、『男磨きハウス』の乾いた笑いは成立しているのです。

