◆番組の構図にいまの日本の脆さがある
そう考えると、これは彼らを笑う人たち、マウントを取る人たちの意気地のなさも映し出していると言えるのではないでしょうか。自分より強い者には歯向かわず、絶対に負けることがないとわかっている人に対してしか、自分の優位性を示すことができないように見えてしまうからです。つまり、『男磨きハウス』の出演者も“弱者”ならば、彼らを憐れみつつ軽蔑して笑う勝者も形を変えた“弱者”である。
この番組の構図自体にいまの日本の脆さがあると考えるのは、少しおおげさでしょうか。
表面的には、強者男性・女性が弱者男性を教化していく形でありながら、どちらも本質的には弱さと不安を抱えている。
◆『男磨きハウス』が問いかける現代の闇
ゲテモノという珍味を味わうバラエティ番組の形を保ちつつ、「男」という置き去りにされたインフラの現状を如実に映し出してしまう。そんな劣化して錆びついた「男」の残骸を見て笑う視聴者も、同じぐらい追い詰められた脆弱な存在なのかもしれない。
『男磨きハウス』が問いかけるものは、思ったよりも深い漆黒の闇なのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

