全国の児童相談所が対応した、2023年度の児童虐待相談件数は22万5509件にのぼり、前年より5%増となった(厚労省発表)。身体的虐待のほか、心理的虐待も増加している。
虐待とまでは言えないとしても、いわゆる「教育熱心」として片づけられる行為の中には、最初から子どもを親の価値観に当てはめようとする“支配”や“要求”の押しつけが潜んでいる場合も少なくない…。
本稿の筆者である精神科医の片田珠美氏も、進路選択の際に親の価値観を押しつけられた経験がある。文学部に進んで新聞記者か作家になりたかったが、進路選択の際には、両親からお金の話を持ち出され「文学部なんか一文にもならない」と猛反対されたという。
※ この記事は、片田珠美氏による『子どもを攻撃せずにはいられない親』(PHP新書)より一部抜粋・再構成しています。
子どもを支配する親が抱える三つの要因
なぜ親は子どもに支配欲求を抱くのか? その動機として、利得、自己愛、「攻撃者との同一視」の三つが考えられる。
まず、利得だが、これは非常にわかりやすい。典型的なのは、子どもに将来の高収入を期待する親である。
たとえば、子どもにピアノを習わせて一流のピアニストを目指させたり、野球の特訓をしてプロ野球選手になるよう促したりする親。子どもの希望など聞き入れず、将来得られるであろう金銭を当てにして、子どもに進路を押しつけるわけだ。
また、会社や病院などを経営している親が子どもに家業を継がせようとするのも、「これまでの投資を無駄にしたくない」というもくろみがあるからだろう。
そういうもくろみが結果的に子どもを不幸にすることもあると私自身の経験から断言できる。
医学部の同級生に、両親から医者の道を押しつけられた人が何人かいた。実家が病院や診療所を経営していて、そこを継ぐために本人の希望とは関係なく医学部に入れられたという人は少なくない。そういう人は、私とは別の意味で悩むようだ。
医者の仕事には、もちろん専門的な知識と技術が不可欠だ。それを身につけるために何年もかけて学び、最後は国家試験への合格が求められる。ただ、実際に診察するとなると、サービス業的な側面が強い。
というのも、患者と向き合い、どんな症状なのか聞き出すのにも、治療がうまく進むよう、きちんと説明や指導をするのにも、コミュニケーション能力が必要だからだ。ところが、親の意向でいやいや医者になった人のなかには、あまりコミュニケーション能力に恵まれていない人もいる。
たしかに頭はよくて、理数系の勉強はよくできるのだが、患者と話すのはどうも苦手だという医者がいる。
父親が医者、母親は薬剤師、祖父も2人とも医師で、親戚にも医者がたくさんいるという家庭で育った男性もまさにそうだった。本当はIT関連の仕事に就きたかったのに許されなかったという。結局男性は、両親の希望で医者になったが、本人の希望通りIT関連の仕事に就いたほうが幸せになれたはずだ。
また、彼自身の適性から考えて、臨床医よりも、基礎医学の研究者になるほうが本人のためだと私は思うが、研究者では高収入を期待できないので、「うちの親戚は金持ちばかりだから、肩身が狭い」といって両親が反対しているようだ。
このように親が子どもに高収入を期待するのは、私の両親がそうだったように、「高収入が得られる職業に就くことこそ幸福」という信念があるからだろう。だが、私自身も、そして実家の病院や診療所を継ぐために医学部にいやいや進学した同級生も、自分の希望と適性を見きわめたうえで、自分で選んだ職業に就いたほうが幸せになれたのではないかと思う。
私が不幸だったと言うつもりはないが、医学生だった頃も、医者になりたての頃も随分悩んだものだ。精神科医としての臨床経験にもとづいて本を書き、それがある程度売れるようになって、やっと自分の人生を肯定できるようになった。
自分自身の経験から、親が子どもに将来の高収入を期待するあまり、子どもの希望も適性も無視して、親が望む職業に就かせようとするのは、どうかと思う。子どもからすれば、親による攻撃以外の何物でもないのではないか。
たしかに、生きていくためにお金は必要だ。だが、お金だけで幸せになれるわけではない。
自己愛と敗北感を抱える“熱心な親”
親の自己愛、とくに傷ついた自己愛も、親が支配欲求を抱く重要な動機になる。なぜかといえば、傷ついた自己愛、そしてそれによる敗北感を抱えている親ほど、子どもを利用して、自分の果たせなかった夢をかなえようとするからだ。
その典型が、野球マンガ・アニメの傑作『巨人の星』の、星一徹だろう。星一徹は、将来を嘱望(しょくぼう)されたプロ野球選手だった。ところが、太平洋戦争で徴兵され、戦地でけがを負ったせいで、引退を余儀なくされた。そのため、一徹は自分の夢を息子の飛雄馬に託し、スパルタ教育を行う。
いわゆる「ステージママ」も同様だ。若い頃は芸能界で活躍することを目指していた女性が、自分では夢をかなえられず、その雪辱を果たすために娘にタレント活動をさせ、自らマネジメントを担当する。こういう母親も、星一徹と同様に傷ついた自己愛と敗北感を抱えている。
この手の親は少なくない。たとえば、受験に失敗して学歴コンプレックスを持っている親が、早くから子どもを塾に通わせ、「いい学校」に入るために「勉強しなさい」と叱咤激励する。
あるいは、幼い頃、家庭が裕福ではなく、習い事をさせてもらえなかった親が、自分がやりたくてもできなかった習い事を子どもにさせる。
行き過ぎると、夫婦関係にひびが入ることもある。たとえば、30代の会社員の男性は、自分が理想とする人生以外認めようとしない20代の妻に手を焼いているという。
「そろそろバレエとピアノを習わせて、私立の名門小学校を受験させる」という具合に、3歳の娘が将来いい人生を送れるように、妻は育児についていろいろと考えているようだ。
それはいいのだが、自分の考えに少しでも反対されると怒りだすため、親しいママ友が1人もいない。夫も、お金のかかる育児ばかり提案する妻に、うんざりしている。
また、最近会社の業績が悪化した影響で給料が下がったため、夫が妻にパートに出るよう勧めても、「かえって服代や昼食代にお金がかかる」「パートなんかしたら近所の奥さんからバカにされる」などと理由をつけて、働こうとしない。それなのに、とくに節約することもなく、家事もおろそかなため、夫のストレスは増すばかりらしい。
何よりも問題なのは、娘が何をしたがっているのかも、娘にはどんな才能があるのかも妻が一切考えようとしないことだ。そんなことは、この妻にとってはどうでもいいらしい。
その背景には、習い事も小学校受験もできなかったという妻の事情があるようだ。この妻は、母子家庭で育ち、母親が生活のためにパートをかけもちしていたくらいだから、習い事など望むベくもなかった。また、小学校から高校までずっと公立のうえ、経済的な理由で大学進学を諦めざるを得なかったという。
そのせいでコンプレックスにさいなまれ、傷ついた自己愛と敗北感を抱いていることが、娘にバレエとピアノを習わせ、小学校受験をさせたいという願望を強めているのかもしれない。
親の敗者復活を担わされる子どもたち
このように傷ついた自己愛と敗北感を抱えている親ほど、その反動で自分ができなかったことを子どもにさせようとする。あるいは、自分がかなえられなかった夢を子どもに実現させようとすることもある。
これは、親が自分の人生で味わった敗北感を子どもの成功によって払拭(ふっしょく)し、傷ついた自己愛を修復するためだろう。いわば敗者復活のために子どもに代理戦争を戦わせるわけで、親の期待は親の自己愛の再生にほかならないと痛感する。
親が子どもに夢を託すことが、一概に悪いというわけではない。
父親の猛特訓で息子が一流の選手になることもあれば、母親のマネジメントで娘が一流のタレントになることもある。そうなれば、親も子も幸せになれる。
もっとも、必ずしも成功するとは限らない。むしろ、一握りの成功者の陰に何千人、何万人もの挫折者がいるように見える。とくに、親が子どもの希望や適性を無視して、自らの敗者復活のために自分の夢を子どもに押しつけると、不幸な結果を招く危険性が高い。
虐待が連鎖するメカニズム「攻撃者との同一視」
親が支配欲求を抱く三つ目の動機として、「攻撃者との同一視」を挙げておきたい。
これは、自分の胸中に不安や恐怖、怒りや無力感などをかき立てた人物の攻撃を模倣して、屈辱的な体験を乗り越えようとする防衛メカニズムであり、フロイトの娘、アンナ・フロイトが見出した(『自我と防衛』)。
このメカニズムは、さまざまな場面で働く。たとえば、学校の運動部で「鍛えるため」という名目で先輩からいじめに近いしごきを受けた人が、自分が先輩の立場になったとたん、今度は後輩に同じことを繰り返す。
同様のことは職場でも起こりうる。お局(つぼね)様から陰湿な嫌がらせを受けた女性社員が、今度は女性の新入社員に同様の嫌がらせをする。
攻撃者との同一視は、親子の間でも起こりうる。子どもの頃に親から虐待を受け、「あんな親にはなりたくない」と思っていたのに、自分が親になると、自分が受けたのと同様の虐待を我が子に加える。こうして虐待が連鎖していく。
虐待が連鎖している家庭について相談を受けるたびに、「自分がされて嫌だったのなら、同じことを子どもにしなければいいのに」と私は思う。だが、残念ながら、そういう理屈は通用しないようだ。
むしろ、「自分は理不尽な目に遭い、つらい思いをした」という被害者意識が強いほど、自分と同じような体験を他の誰かに味わわせようとする。いや、より正確には、自分がつらい思いをした体験を他の誰かに味わわせることによってしか、その体験を乗り越えられないというべきだろう。
これは、親から支配された子どもも同様だ。親の言う通りにしなければ、暴力を振るわれ、口答えなど決して許されなかった。あるいは、高収入を期待できる職業に就くこと、家業を継ぐこと、親がかなえられなかった夢を実現することなどを強要されて、やりたいことができなかった。そういう人が親になると、自分が親からされたのと同じように子どもに自分の願望や要求を押しつけることがある。
自分が親から支配されて嫌な思いをしたのなら、子どもには自由にさせればいいのにと私は思うが、そうはならない場合が多い。
むしろ、「自分は、親の願望を満たすために生きてきて、自分のやりたいことができなかった。ずっと我慢してきたのだから、今度は自分の願望を子どもに満たしてほしい。それくらいは許されるはず」と考える。
つまり、親自身が辛抱した経験によって、子どもへの支配欲求を正当化するのである。

