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老後資金、貯めすぎてしまった…70代、お金は十分にあるのに。夢だった「イタリア旅行」に行けず、後悔が残る人生後半戦

老後資金、貯めすぎてしまった…70代、お金は十分にあるのに。夢だった「イタリア旅行」に行けず、後悔が残る人生後半戦

老後を見据えた生活を送る50代。「残りの人生のほうが少ないかもしれない」そう気が付くと自分の持っている資産や時間、仕事などの捉え方も変化してきます。獅子にひれ氏の著書『定年が気になりはじめた50代おひとりさま女子たちのトリセツ』(ごきげんビジネス出版)より、老後資金の考え方について解説します。

「老後資金、貯めすぎてしまった…」と後悔することも

老後の資産形成を考えるなかで、私たちは「お金をどう増やすか」に注目しがちですが、それと同じくらい大切なのが「お金をどう使うか」を考えることです。私たち50代女性のなかには「預金や貯金は多ければ多いほど安心」という考えに縛られてきた人も少なくないでしょう。私自身も就職したての頃に母から郵便局の定額貯金をすすめられ、定期的にお金を貯める習慣が身につきました。「いつか何かあったときのため」の備えでした。

「貯金は美徳」という価値観は、戦後復興期から高度経済成長期を生きた親世代から受け継いだものかもしれません。たしかに、その時代は銀行の金利が高く、貯金すれば確実にお金が増える時代でした。しかし現在は、100万円を定期預金に預けても1年間で得られる利息はわずか数十円、という状況です。それでも私たちは安心感を求め、貯金通帳の数字を眺めては満足感を得ていないでしょうか。

人生後半戦の「貯金」に思わぬリスクが潜んでいることに、私は気づきました。それは「機会を失う」という目に見えないリスクです。

ある60代の先輩との会話で「65歳までは元気に活動できる人が多いけれど、その後は体力低下を感じて、旅行も思うように行けなくなる人が多いのよね」と聞きました。その先輩は続けてこんなことも話してくれました。「昔から行ってみたかったイタリア旅行のお金は十分あるのに、70代になって長時間のフライトが体力的にきつくてあきらめざるを得なくなった友人がいるの。“あのとき行っておけばよかった”って後悔している姿を見ると、お金だけあっても意味がないんだなって思うのよ」と。

私の場合「残り10年でできること」に意識を向けた瞬間から、やりたいことに対する「待ったなし」の気持ちが芽生えました。たとえば、学生時代の友人と「いつか一緒に温泉旅行をしよう」と話していたことを思い出し、すぐに計画を立てて実行に移しました。以前なら「来年でもいいか」と先延ばしにしていたかもしれません。しかし友人のひとりが膝の調子を悪くして長距離の移動が困難になったり、親の介護がはじまって自由な時間が取れなくなったりする可能性を考えると、「いま」という時間の貴重さを実感せずにはいられませんでした。

「お金を使うこと」に罪悪感を持たなくてもよい

子育てを卒業し、体力もあるいま、計画的に人生を楽しむ余裕も出てきました。とくに「友人との大切な時間を過ごすこと」「新しい経験を積むこと」「いましかできない体験をすること」は、お金で買えるものではありません。お金だけでなく、若い頃とは違い、残りの時間と落ちていく体力という大切な資源の使い方を考えながら、この先の10年をいまこそ考えるときだと思います。

50代の私たちが見つめ直すべきは「お金を使うこと」への罪悪感かもしれません。長年染み付いた「節約は美徳」という価値観から、自分の楽しみのためにお金を使うことに後ろめたさを感じる人も多いでしょう。しかし適切な範囲での「自分への投資」は、決して浪費ではありません。健康維持のための運動や美容、心を豊かにする文化活動、人間関係を深める交際費用などは、質の高い老後生活の基盤となるのです。

「あの世までお金はもっていけない」とはそのとおり。「お金を貯める」ことを優先するあまり、やりたいことを先送りにしたり、我慢したりしているとしたら、もったいないと思いませんか? 老後の備えはもちろん重要ですが、自分にとって必要な老後資金がわかれば、必要以上のお金を貯める必要はありません。「お金を貯める」こと自体が目的になってしまうことなく、人生の大切な機会を逃してしまわないよう、50代のいまだからこそ「貯めること」「増やすこと」「使うこと」のバランスが大切だと感じます。計画的に将来に備えながら、いまこの瞬間も大切にする。そのような賢い選択をしていきたいと思いませんか?

人生は一度きり。残された時間を有意義に過ごすために、お金との上手な付き合い方を見つけていきましょう。

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