会場となった「大阪美術倶楽部」は江戸時代に両替商で財を成した
「大阪・関西万博」の閉幕9日前にあたる10月4日、大阪市にある大阪美術倶楽部で、万博レガシーとして「梅田大茶会」が開催されました。
招かれたのはアメリカ館の代表であるウィリアム・E・グレイソン大使夫妻やイタリア館のロッセラ・メネガッツォさん(ミラノ大学教授)、バチカン館のステファノ・リッカルディ館長など総計40名。ほとんどは海外(オランダ、韓国、コロンビア、サウジアラビア、スリナム、チェコ、中国、ドミニカ共和国、マルタ、ラトビアなど)からの方です。
茶会は主人と客人の相互の信頼関係を構築する日本の伝統文化。今回の茶会の目的も、大阪・関西万博の参加国の方々に日本の伝統文化に触れていただき、万博で生まれた友情をはぐくみ、これからの関係をさらに深めようというものです。
主催は阪急阪神不動産ですが、阪急電鉄の創業者である小林一三は、一部の特権階級のための茶道ではなく、日常生活の中での茶の湯を広めようとしました。だれでも茶会を体験できるような様式へと進化させるイノベーションを起こしたことで知られています。そんな小林一三のレガシーを受け継ぎ、茶道の精神や美意識、そして作法を楽しみながら体験していただき、少しでも伝統文化を知ってもらおうという試みでした。
「鴻池財閥」の本邸跡
会場となった大阪美術倶楽部は、もともとは江戸時代に両替商として財を成した、鴻池財閥の本邸跡です。


茶室の名前は「松筠亭」。もとは鴻池家の軒号ですが、その意味は松とみずみずしい青竹の茶室ということです。実際、茶庭には黒松や、建仁寺垣という竹垣があり、井戸の蓋として、毎年青竹が新調されるそうです。灯籠は室町時代、今から500~600年前のものです。水盤には黒い焦げが残っているのですが、その焦げ跡は江戸時代に起きた大塩平八郎の乱の際、鴻池本邸が焼き討ちにあった際にできたとか。

また当日の床の間には「関白様(豊臣秀吉)が先日いらっしゃり、お茶をたてました」という文言が書かれた千利休の直筆の軸がかけられていて、歴史の重みを改めて感じさせてくれました。

このようなセッティングですと、いやが上にも緊張感が高まるのですが、茶会はとても和やかな雰囲気の中進み、参加された方々は英語での説明に興味深く聞き入っていました。
茶会の後半には、野菜を中心にした料理で知られる大阪のレストラン「リュミエール」の唐渡泰オーナーシェフの料理がふるまわれ、4時間に及ぶ茶会は終了しました。
