◆前回までのあらすじ
2年半付き合った彼女と別れてニューヨーク駐在に挑む商社マン成瀬遥斗(28)。マンハッタンで新しい出会いを求め、あるランニングサークルに参加することにした。
そこでマヤという女性と出会い…。
▶前回:「あなたとは結婚できない」将来有望な28歳商社マンのプロポーズを、バッサリと断った彼女の本音とは?
Vol.2 モデル・マヤとのデート
「Hey, nice run today.」
土曜日の朝9時。
セントラルパークの芝生でストレッチをしていると、軽やかな声が耳に届いた。顔を上げると、マヤが汗を拭いながら笑っている。
何度か同じランニングサークルで顔を合わせるうちに、自然と挨拶をするようになり、少しずつ言葉を交わす時間が増えていた。
最初はただのランナー仲間だったが、マヤのオープンで明るい性格に触れるたび、遥斗は彼女に惹かれていることに気がついた。
「Thanks, you too. You’re really fast.(ありがとう。走るの速いね)」
そう言う遥斗に、マヤは天真爛漫な笑顔で返すと、遥斗の隣に腰を下ろす。
周りが一人二人と帰っていく中、遥斗とマヤはそのまま小一時間その場で会話を楽しんだ。
正直、ニューヨークでモデルの彼女と仲良くなれるとは思っていなかった遥斗は舞い上がり、思い切って彼女を誘ってみる。
「Are you free today? Want to grab brunch?(よければブランチしない?)」
「Sure, I’d love to! I know a great place near here.(ぜひ!近くにいい所があるわ)」
嬉しそうに答えるマヤに、自然と遥斗の胸が弾んだ。遥斗は心でガッツポーズをキメた。
徒歩で15分ほどの場所にある『Bluestone Lane Upper East Side Café』というカフェに二人で向かう。
石造にエメラルドグリーンのカウンターが特徴的なおしゃれな店内で、朝から人で賑わっていた。
「ここ、アボカドトーストがすごく美味しいの。ハルトも試してみて。注文どうしよう…サラダにしようかな、でもパンも食べたいし…」
メニューを見て真剣に迷うマヤが、妙に可愛らしく見える。
マンハッタンで迎えた初めてのブランチデート。
デートに慣れているものの、外国人とは初めての経験だ。普段自己評価の高い遥斗でも内心うまく盛り上がるだろうかと心配していたが、二人は終始笑い合っていた。
彼女はポーランド出身の26歳。幼い頃にニューヨークへ移り住んだという。
小さい頃、英語がわからずに失敗した思い出。モデルを目指して数えきれないほどのオーディションを受けていること。移民として家族が苦労してきたことなど。
彼女は話しながら表情をくるくると変え、そのときの感情を大げさなくらいに全身で表現する。
感情をそのまま表現する彼女が遥斗には新鮮で、ただ話を聞いているだけで楽しく感じられた。
「ハルトはニューヨークの何が好き?」
そうだな…、と言って、遥斗は必死に頭を回転させる。正直ただ何となくカッコいいから好きなのだが、どう答えるのが正解かを計算する。
「街のエネルギーかな。みんな夢を持っていて、それが叶う場所でもあって、活気があって好きなんだ」
「わかるな。ここには色々な人がいるけど、だからこそこうやってハルトみたいな素敵な人と出会えるのが、ニューヨークの魅力だよね」
照れることなく無邪気に言われ、遥斗の温度はさらに上がった。
その日をきっかけに二人は何度も会うようになり、ディナーや美術館デートを重ねていく。
彼女はポジティブで真摯に夢を追い求め、知れば知るほど彼女に魅了されていった。
そしてある夜、別れ際に自然と唇が重なる。
数秒のキスのあと、マヤは少し照れた笑みを浮かべながら「See you soon」と囁いて、アパートのエントランスへと歩いていった。
― やばい、俺今、人生最高に謳歌してる!マヤと付き合えるかも…。
遥斗は思わず小さくスキップをするが、凹凸のある道につまずき転んでしまう。だがそれすらも楽しいのか、鼻歌を歌いながら帰宅した。
◆
週末、遥斗はマヤを自分の部屋に招いた。
マンハッタンのミッドタウンイーストにあるタワーマンションからは、煌めく夜景が広がっている。
二人でワイングラスを手に乾杯し、ソファに並んで座る。
いい雰囲気に包まれる中、マヤの瞳が真剣な色を帯びた。
「ハルトに言わないといけないことがあるの」
「ん?」
いつもの明るい彼女とは違う張り詰めた空気感に、遥斗はドキッとする。
― もしかして、告白か…?
遥斗が姿勢を正すと、言葉を探すように少し間を置き、マヤははっきりと告げた。
「私カトリックだから、結婚するまでは誰とも寝る気はないの」
「え…?」
一瞬、時が止まったように感じる。
突然の告白に遥斗は声を失い、ワインの赤だけが妙に鮮やかに見えた。
「あなたのことは好き。だけど、これは私にとって大事なことなの。わかってほしい」
― いやいや、この令和の時代に?本当に?
彼女にとって信仰は人生の一部だ。それは頭では理解できる。
でも、これまで無宗教の日本人としか付き合ったことのない遥斗には、マヤの発言は想定外だった。
ショックを隠せない遥斗だったが、それでもマヤに嫌われたくなかった遥斗は「わかった」と何とか笑顔を作った。
そのことがあってからも、デートは続いた。
だが、時折小さな違和感が積み重なる。
マヤが選ぶレストランは、ミシュラン星付きや有名な高級店ばかり。もちろん支払いは当然のように遥斗だ。
モデルの彼女ならそんな店に行くのは当たり前なのだろうと自分を納得させる。
けれど、物価高のニューヨークでずっとこれが続くのかと思うと、正直少し、負担に感じるようになっていた。
そしてある日曜日。
最近ではディナーに行くことが多かったが、突然マヤからブランチに誘われた。
珍しいと思いつつ指定された店に行く。
マヤはすでに店内に座り、笑顔で遥斗に手を振った。だが、彼女と向かい合って座るその席には、知らない顔があった。
驚く遥斗に、「ハルト、私のパパとママよ」と屈託ない笑みで紹介する。
「日曜日はいつも、教会の後に家族とブランチをするのが習わしなの」
「初めまして。成瀬遥斗です」
遥斗は戸惑いながら挨拶をし、席に着く。
遥斗の緊張をよそに、家族はとてもフレンドリーに接してくれた。
父親はニューヨークで、高級インテリア雑貨の輸入販売業者をしているという。
起業家特有の情熱と親しみやすさがあり、数々の局面をくぐり抜けてきた者ならではの自信と風格をまとっていた。
遥斗が打ち解けられる雰囲気を作ってくれ、移民として起業した時の苦労話や、ニューヨークでの暮らしについて面白おかしく語ってくれる。
しかし、初めは和やかな雰囲気だったが、次第に質問が鋭さを増していった。
「日本の商社は世界でも注目されているけど、君の実際の仕事内容は?」
「どのくらい稼いでいるんだい?今後の給与形態は?」
「いずれ日本に帰るのかい?将来はどうするつもり?」
さらに、彼女の母がにっこりと言う。
「もし娘と結婚したら、あなたもカトリックになるのよね?」
笑顔の裏に探るような視線が刺さる。返答に窮する遥斗の心は、次第に重く沈んでいった。
そして翌週、今度はマヤから、教会に一緒に行かないかと誘われた。
― またあの両親と会うのか…。正直、気が重いな…。
マヤのことは好きだ。けれど今すぐ結婚など考えられないし、マヤの両親からの質問に、うまく返答する自信もない。
遥斗は仕事で疲れていることを言い訳に、やんわりと断った。
その瞬間、彼女の表情が険しく曇る。
「あなたは、私との関係を真剣に考えていると思ってた」
「いや、そうじゃなくて、君のことは大好きだし大事に思っているんだけど、まだ時間が必要で…」
必死に言い訳を並べてみるが、マヤの機嫌は直らない。
結局気まずい雰囲気の中、その日はキスもなく二人は別れた。
その後、遥斗が何度かメッセージを送っても、返事は途絶えがちになり、既読もつかなくなっていった。
◆
数週間後。忙しさと気まずさから足が遠のいていたが、遥斗は久しぶりにランニングサークルに参加することにした。
そのとき、遠くに見覚えのある顔を見つけた。
遥斗が心を奪われてきたマヤの笑顔は、身長190センチほどもある屈強な男に向けられ、二人は並んで親しげに笑い合っている。
その後、遥斗には目もくれず、二人でランニングを楽しんでいた。
「別に、俺たちそんな仲じゃなかったし。うん、大丈夫…」
強がってそう呟いてみるものの、胸の奥が痛い。
走り終えた後、一人でセントラルパークを歩きながら、遥斗は思わずため息をつく。
― 恋愛って、難しいな…。
異文化の中での恋愛はとても新鮮で楽しく、そして難しい。それを肌で感じた数ヶ月だった。
ベンチに腰を下ろし、スマホを取り出す。
以前会社の先輩から勧められたマッチングアプリをダウンロードしてみる。
アイコンをタップし、プロフィールを登録した。
「よし…落ち込んでいても仕方ない。次だ次」
ニューヨークの風は肌寒かったが、前に進もうとする遥斗の背を、優しく押した。
▶前回:「あなたとは結婚できない」将来有望な28歳商社マンのプロポーズを、バッサリと断った彼女の本音とは?
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マッチングアプリで出会ったバリキャリ女子。すぐに意気投合し、デートを重ねるが…。

