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生活保護基準引き下げ「違法」…国の“敗訴”判決を下した最高裁“元裁判長”宇賀克也氏が語る「内幕」とは?

生活保護基準引き下げ「違法」…国の“敗訴”判決を下した最高裁“元裁判長”宇賀克也氏が語る「内幕」とは?

2025年6月27日、最高裁第三小法廷は、生活保護受給者らが2013年の生活保護基準引き下げの取り消しを求めた集団訴訟において、裁判の進行が最も速かった愛知県および大阪府の原告団に対して、厚生労働大臣による引き下げの違法性を認め、国に保護費の減額処分の取り消しを命じる判決を言い渡した。

裁判長を務めた宇賀克也氏は、7月に最高裁を定年退職し、講演会などの活動を精力的に行っている。宇賀氏は東京大学名誉教授であり、行政法学界の権威とされる研究者でもある。

本記事では、11月7日に日弁連が東京都内で主催した「生活保護行政に対する司法審査に関する講演会」で宇賀氏が語った内容を紹介する。

講演会の趣旨は、生活保護行政に対する司法審査の在り方と「行政裁量」という重要な概念について、宇賀氏の知見から学ぶことである。(みわ よしこ)

「申請主義」の壁…行政が制度を周知徹底しないことの問題点

会場には、生活保護制度の利用者・支援者・社会福祉学者などの姿もあったが、過半数は弁護士であるようだった。受講者たちの関心事である「最高裁判決が判決どおりに実現されるためには、どこにどう働きかければ有効なのか?」といったことに関しては、冒頭で司会者が「退官後も守秘義務があるので一切答えられない」と釘を刺した。

宇賀氏は穏やかな表情と明るい声で、「弁護士の役割」、ついで、生活保護をはじめとする「給付行政」で、対象となる人が制度を知って申請しなければ給付を受けられないという「申請主義」の問題点について語り始めた。

私は違和感を覚えた。たしかに、制度の情報にたどりつけないために、あるいは手続きを自力で行うことができないために、利用できるはずの制度を利用できない人々は少なくない。その人々が、貧しさや困難の中に放置されがちである状況は、「社会正義」に反している。

しかし、講演会のテーマは、「生活保護行政に対する司法審査」ではないのか? それをさしおいて「弁護士の役割」「申請主義」について説明することには、どのような意図があるのか。

宇賀氏は淀みなく、児童扶養手当に関する「永井訴訟」京都地裁判決(平成3年(1991年)2月5日)について語り始めた。

障害者の夫とともに子どもを育てていた女性が、受給権があることに気づかなかったために申請と受給開始時期が遅れ、受給できる児童扶養手当の総額が減少したことを理由に、「国が制度に関する周知を徹底する義務を怠った」として損害賠償を求めた訴訟である。

一審の京都地裁判決は、国が周知徹底義務を怠ったとして国家賠償法上の損害賠償請求を認めた。

これに対し控訴審の大阪高裁は「(周知は国の)責務ではあっても法的な義務ではない」とし、原告敗訴の判決を行った。しかし、判決理由中で「水際作戦」のように制度の利用を阻む行為は「裁量範囲の著しい逸脱」と判示した(平成5年(1993年)10月5日)。

この判決を紹介しつつ、宇賀氏は、憲法と児童扶養手当法の関係を示した。児童扶養手当法の目的は「児童扶養手当を支給し、もつて児童の福祉の増進を図ること」である(同法1条)。

しかし、制度が利用できることを知らなければ申請できず、申請しなければ受給権は発生しない(同法6条参照)。このため、周知を徹底しないことは生存権が保障されていないことになるという判断がなされたのだった。

「行政の制度ではないから知らせなくていい」というわけではない

さらに宇賀氏は、身体障害者の運賃割引が介助者にも適用されることを自治体が周知しなかったために損害を受けたとして提起された訴訟を紹介した。簡裁(勝訴)・地裁(敗訴)を経て、東京高裁は2009年に原告の訴えを認める判断を示し(平成21年(2009年)9月30日)、この判決が確定した。

運賃割引制度は、各公共交通事業者が独自に提供しているものであり、行政の制度ではない。しかし、憲法13条に定められた「移動の自由」は、障害者にも保障されるべきものであり、割引制度は移動の自由を実質的に確保するために設けられた手段である。

介助を常時必要とする障害者にとって、介助者に運賃割引が適用されるか否かは、自分自身の移動の自由にかかわる問題である。このため、障害者自立支援法(当時)は、市町村には必要な情報の提供を行う責務があるとしていた。

しかし当該の自治体は、介助者の運賃割引に関する明示的な説明をしておらず、障害者福祉制度の説明冊子においても明確な記載をしていなかった。

判決では、これら関連する法律の解釈から、「市が割引制度に関する説明をしていたとは認められない」と判断された。

「この事件の話は、今年6月の最高裁判決に関する話の前振りに違いない」と期待していると、宇賀氏は、またしても話題を変えた。

行政手続法の制定で無効化されたはずの「水際作戦」

次の話題は、「あるべき情報提供と給付の姿」であった。

宇賀氏は、行政が家族手当の対象者を調べて申請を経ずに給付しているオーストリアの例、千葉市が独自に行っているプッシュ型情報提供(市民自身が利用申請を行うことが前提)の例を挙げ、「プッシュ型情報提供・プッシュ型給付は、『申請不要』という意味では望ましい」と述べた。

その対極にあるのが、「水際作戦」だ。しかし、行政手続法7条は「行政庁は、申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請の審査を開始しなければ」ならないと定めている。

「申請を受理したら」ではない。まして、申請書が到達しているのに「受け取っていない」と主張することはできない。むろん、水際作戦でしばしば見られる「受理しない」という対応も許されない。

審査においては、最初に期間・事項・添付書類などの形式的要件を確認するが、補正を認めることが必要とされている。言い換えれば、記入漏れや添付漏れがあった場合に「無効」としてはならないということだ。

これらの規定の背景には、過去に申請の「受付」と「受理」を区別する運用が存在し、さらに裁量によって「指導に従わないのなら受理しない」という運用もなされていたことがあった。

このため、行政の透明性を高める目的で1993年に行政手続法が制定された際(1994年施行)、申請書が申請先に到達した時点で審査義務が発生するとされ、「言い訳はできないよ」ということが明確に示されたのである。ところが生活保護においては、その後も「水際作戦」が頻発しているという。

宇賀氏は、話題を少しひねりつつ共通認識の範囲を広げ、ついで生活保護に着地させた。巧妙な構成と軽妙な語りには、もう魅了されるしかない。

生活保護の「水際作戦」は、何を拒んでいるのか

行政手続における審査は、最初に「形式」を、ついで「実体」を審査する2段構えになっている。生活保護においても当然そうなのだが、宇賀氏によれば、水際作戦とは「形式に問題がなく、実体にも問題がない場合でも、実体に問題があるとして申請を断念させること」である。

背景には、担当職員の無知と生活保護を利用抑制したいという意図が重なっているが、もちろん行政手続法に違反している。国家賠償法に基づく損害賠償請求が認容された事例もあるという。

生活保護の申請を拒否された場合には、申請拒否処分の取り消しを求める審査請求を行い、取り消されない場合には「申請型義務付け訴訟」(行政事件訴訟法3条6項2号)を提起して「仮の義務付け」(同法37条の5第1項)を求めることができる。しかし、いずれも容易ではない。宇賀氏は「弁護士の協力がないと無理」という。

また、生活保護を利用している当事者に対し、行政が停止(中断)・廃止(打ち切り)などの不利益処分を行う場合には、「口頭での指導指示→文書による指導指示→弁明の機会」という手順を踏み、なお不利益処分が相当と考えられる場合により処分を行うことが認められている。

しかし、宇賀氏は「弁明まででも、本人だけでは無理です」と述べ、弁護士の必要性を強調する。まして、不利益処分をされてしまった後の審査請求や訴訟となると、本人では行えない場合のほうが多いであろう。宇賀氏は「弁護士の役割は重大です」という。

「さて、いよいよ最高裁判決の話だろうか」と期待していると、話題は再び、児童扶養手当に移った。

平等原則違反や、財政事情による正当化は認められない

2025年6月10日、最高裁第三小法廷は、「障害があって障害基礎年金を受給している一人親が、児童扶養手当を併給できないことは、違憲ではない」という判断を示した(裁判長は宇賀氏ではなく渡邉惠理子氏)。

親が障害者であり障害年金を受給している場合、子を養育していれば子の加算があり、児童扶養手当は、親のうち少なくとも一人が障害基礎年金を受給している場合には受給できたが、地裁に提訴された2019年当時、一人親は対象外だった。

宇賀氏は、判決文に「憲法の平等原則に反する」という少数意見を付した。講演で語られた理由は、相対的に二人親世帯が一人親世帯よりも有利になる規定そのものが「あり得ない」ものであり、憲法14条の平等原則に反しているということであった。

結果として、障害のある一人親と子どもの生存権が侵害されているわけではないのだが、だからといって不平等が容認されるべきではないということだ。

また宇賀氏は、「委任命令」(※)の限界を逸脱しているという問題も指摘した。児童扶養手当法の施行にあたっては、障害年金との併給に関する規定を含め、「委任命令」である政令によって定められている。

※法規範は国会の立法により法律という形式で定めなければならないという「国会中心立法の原則」(憲法41条)に基づき、法律が一定の事項に関し委任する下位規範(政令、省令等)

そして、一人親世帯に対して不利益となる扱いは、「平等原則に違反する委任」であり、かつ「財政を理由とした委任」であるため、法の趣旨に反し、委任命令の限界を超え、認められないという。財政を理由とした委任は、まさに2013年の生活扶助基準改正において行われたものである。

あまりにも対照的な2つの高裁判決

話題はついに、2025年6月の生活扶助基準改定の取り消しを求める最高裁判決に移った。

最高裁の判断は、大阪高裁・名古屋高裁の2判決に対して行われたが、この2つの判決は対照的だ。この基準改定においては、「ゆがみ調整」「ゆがみ調整の1/2調整」「デフレ調整」の3つの数値の調整が行われたが、生活保護基準改定において参照すべき専門家たちの知見(社会保障審議会・生活保護基準部会が2013年1月に公表した報告書)が妥当性を示していたのは、「ゆがみ調整」のみであった。

大阪高裁は、すべて妥当であり厚生労働大臣の裁量の範囲にあるとし、また、憲法第25条と国連社会権規約を「制度の後退禁止原則ではない」とした。

他方、名古屋高裁は「デフレ調整」を違法とし、「ゆがみ調整」と「デフレ調整」の組み合わせの結果として改正前の実質的購買力が維持されなくなったとして、国の「重大な過失」を認めた。

高裁から最高裁への上告に際して、原告側は憲法25条(生存権)・14条(平等権)等に違反することを理由としたが、宇賀氏の見解は「憲法違反とは言えないのではないか」ということであった。では、何を拠り所として判断するのか。

「健康で文化的な最低限度」のレベルダウンは許されるのか?

6月の判決で宇賀氏ら最高裁判事が行ったのは、「判断過程審査」、すなわち「厚生労働大臣の判断プロセスが、妥当な結果を導くように統制されていたか」に関する審査であった。

では、生活保護が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」のレベルを国が引き下げることは、許されるのであろうか?

宇賀氏らは、まず国際人権規約の「社会権規約」(正式名称:経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)を確認したという。なぜなら、日本が締結した条約は、憲法98条により憲法の上位法となるからである。社会権規約2条1項は、以下の通り規定している。

「立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて、行動をとることを約束する」(日本政府訳)

英文では、「行動を取る」は具体的な手段を実施する「take steps」、「約束する」は「履行する責任がある」という意味の「undertake」である。

この条文が示すのは、国民の社会権を守るため、利用できる資源を「最大限」に用い、自らに法的拘束力を課して具体的な手段を講じなくてはならないということだ。

この条約を1979年に批准した日本は、生活保護において、充分に「健康で文化的」と言える最低限度を国民に保障することを自らに課し、世界に「やります」と宣言し、憲法98条によって憲法の上位法の位置に置いたことになる。

宇賀氏によれば、現在の通説では「国内的にも効力がある」ということだ。2015年、老齢加算に関する大阪高裁(兵庫事件)判決(平成27年(2015年)12月25日)においても、社会権規約が制度の後退を禁止していることに関する国の責任が判示された。

結局のところ、憲法25条の意味するところは、社会権規約2条1項と同一ということになる。すなわち、「生活保護世帯の生活レベルを引き下げることは禁止」なのだ。

厚生労働大臣は、正しく「裁量」したのか?

判決における判断は、生活保護法3条の「健康で文化的な生活水準」および「最低限度の生活の需要を満たすに十分」が実現されているかどうかに関して行われた。

また、老齢加算最高裁判決(平成24年(2012年)2月28日)において用いられた上述の「判断過程審査」が採用され、大臣裁量が立法裁量よりも厳格に審査された。

判断過程審査に関する学説は、「行政医療の司法審査を緻密化するために、判断過程審査が有効」という点で一致しており、最高裁で今後さらに積極的に行われてほしいということだ。

大臣裁量の審査において論点となったのは、国側が一連の裁判で主張してきた考慮要素、具体的には「国民感情」「財政事情」「与党(自民党)の2012年の政権公約」を考慮して生活保護基準を決定したことの妥当性である。

行政法の一般原則として、このような「他事考慮」は禁止されている。

宇賀氏らは、生活保護法8条2項が「最低限度の生活の需要を満たすのに十分」な保護基準の設定を義務付けていること、その設定には老齢加算最高裁判決(福岡事件)が「専門的知見が必要」としていること、その専門的知見を提供する社会保障審議会・生活保護基準部会の委員たちに内密に引き下げの判断がなされ、検討されたことのない「1/2調整」「デフレ調整」が行われていたことについて、厚生労働大臣が合理性や整合性を立証できているかという観点から審査した。

「基準部会を尊重すべき」という義務は、法の条文に明記されているわけではないが、議論や報告書と異なる決定をした場合には理由の説明責任が発生する(行政不服審査法50条1項4号参照)。

後付けの理由を並べても正当化はできない

国側は、「ゆがみ調整の1/2調整」に関して基準部会に諮らなかったのは「政策的判断」であったと述べ、具体的理由は述べなかった。また、必要性について「激変緩和措置」と主張し、児童のいる世帯に対して減額幅を小さくするために他の世帯には不利益変更を行ったとした。

宇賀氏は、「1/2処理が違法かどうかは判断が分かれるところ」としつつも、裁判において後付けで正当化を図った国の主張の数々に対し、「判断過程の過誤・欠落」とした。

2013年の引き下げ金額の80%以上の根拠とされた「デフレ調整」について、国は、基準部会に諮らなかった理由を述べていない。しかし、引き下げ直前の2011年までに生活保護基準での生活水準が一般低所得世帯を上回っていたという点については「にわかには認めがたい」(宇賀氏)ものであり、国が立証責任を果たしているかどうかを問題にしたという。

結局のところ、物価変動率を単独の直接指標として「デフレ調整」を行ったことについて、合理性を裏付ける統計や資料の存在は伺われないままだった。

また、以下の全てにおいて、国側は合理性の根拠を示すことができなかった。

  • 1983年から生活保護基準決定に使用されてきている水準均衡方式では、物価ではなく消費水準に注目しているのに、物価に注目すること
  • 指標として「物価」を使用する方法が水準均衡方式より好ましい方法であるという合理的理由を国が示せなかったこと
  • 参照する対象を「一般国民」ではなく「一般低所得世帯」としたこと
  • 総務省の物価指数(CPI)ではなく厚生労働省が独自に開発した物価指数「生活扶助相当CPI」を使用したこと
  • 「ゆがみ調整」「デフレ調整」を使用したこと

このため、宇賀氏らは「合理性がない」と判断し、原告勝訴とする判決を示した。

しかし、原告が請求していた国家賠償は認められなかった。国が引き下げを実施するにあたり、検討方法には多数の問題があり「過失があった」とは言えるが、引き下げを検討すること自体が違法というわけではないからである。

ただし宇賀氏自身は「精神的損害に対する損害賠償を認めてよい」と考え、判決の少数意見にその旨を明記した。

最高裁内部の健全化にも尽力した6年間

宇賀氏は2019年から2025年までの6年間にわたって最高裁判事を務めたが、在任中は最高裁のあり方をより健全にすることにも尽力したという。

上告理由の提示に対して判断しない「不受理」とする場合、反対する判事がいても、「全員一致で不受理」と表示する慣行があった。「全員一致」なのであるから、少数意見を書くこともできない。メディアが「全員一致で不受理」と報道するため、誤解も広まってしまう。

宇賀氏は着任後、問題提起した。結果として、第三小法廷では「不受理に反対の裁判官がいた」ということを判決文に示すことが可能になった。しかし、反対理由は書けないままである。宇賀氏は、「一人でも反対なら、受理して反対意見を述べる機会が必要ではないか」という。

憲法改定の可能性が具体的に取り沙汰される昨今、民主主義の危機や形骸化は、町内会から政府まで至るところにある。最高裁も例外ではない。とはいえ、あらゆる場面で、手の届く範囲で民主主義を健全に維持する努力が続けられれば、民主主義は簡単に息を吹き返すものかもしれない。



■みわ よしこ
フリーランスライター。博士(学術)。著書は『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』(日本評論社、2023年)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(永島孝との共著、技術評論社、2013年)など。

東京理科大学大学院修士課程(物理学専攻)修了。立命館大学大学院博士課程修了。ICT技術者・企業内研究者などを経験した後、2000年より、著述業にほぼ専念。その後、中途障害者となったことから、社会問題、教育、科学、技術など、幅広い関心対象を持つようになった。

2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。2023年、生活保護制度の政策決定に関する研究で博士の学位を授与され、現在は災害被災地の復興における社会保障給付の役割を研究。また2014年より、国連等での国際人権活動を継続している。

日本科学技術ジャーナリスト会議理事、立命館大学客員協力研究員。約40年にわたり、保護猫と暮らし続ける愛猫家。

配信元: 弁護士JP

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