
「若さ」や「美しさ」を武器に、誰かに生活を支えてもらう。それは一見、華やかで賢い生き方のように映るかもしれません。しかし、その武器には、残酷なまでに明確な「消費期限」があります。武器を失ったとき、手元に経済的な自立がなければ、待っているのは……。FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が岡田さん(仮名)の事例を通じて、老後における「経済的自立」の重みを解説します。※本記事は実話をベースに構成していますが、プライバシー保護のため、個人名や団体名、具体的な状況の一部を変更しています。
恋多き、65歳女性
岡田しのぶさん(仮名/65歳)は、地方で自宅サロンを営む個人事業主です。身長167cm。若いころからモデルのように細身で、還暦を過ぎたいまも、本人は「少し背が縮んだ」といいますが、年齢を感じさせない美貌の持ち主です。
周囲からは昔から「恋愛に突っ走るタイプ」といわれており、その人生はまさに波乱万丈でした。20代での最初の結婚と出産、そして30歳を前に離婚。その後、二度目、三度目の結婚を経験するも、いずれも破綻しています。
自身の事業利益はアルバイト程度でしたが、独身期間中も常に誰かしら男性の存在があり、生活を支えてもらいながら生きてきました。
62歳で三度目の離婚を経験したとき、周囲の誰もが「もう結婚しないだろう」と思っていました。しかし、彼女はなんと29歳年下の涼介さん(仮名)と出会い、四度目の結婚を果たしたのです。
「愛があれば」…29歳年下夫との蜜月
2人の出会いは異業種交流会でした。涼介さんは繁華街でバーを経営しており、しのぶさんはお店の常連になります。自分の子どもよりも若い涼介さんから、離婚歴があることや前の妻との別れで女性不信になっていることを聞き、励ましているうちに惹かれ合い、結婚に至りました。
涼介さんのバーの経営は苦しく、新婚生活はしのぶさんの自宅での同居から始まりました。生活費として、涼介さんが月5万円を家に入れ、残りをしのぶさんが月6万円の年金とサロンの利益(月15万円程度)で支えるかたちでした。
裕福ではありませんが、「愛があれば」と、しのぶさんは幸せを噛みしめていました。結婚後も夫のバーに通い、2人で常連客と笑い合う日々。その生活こそ、彼女が追い求めた“幸せ”そのものでした。
しかし、幸福は長く続きませんでした。
突然の別れ、崩れた幻想
ある日の夕方。涼介さんはいつになく真剣な表情でこう切り出しました。
「……俺、離婚したい」
理由は、しのぶさんの想像を絶するものでした。 なんと涼介さんは、自分のバーの常連だった45歳の女性との間に、子どもを授かっていたのです。
「産むなんて、絶対に許さないわよ!」「あなたの収入で子どもなんて育てられないわよ!」しのぶさんは叫びました。感情を抑えることができず、部屋の中のものを彼に投げつけ、泣きながら何度も訴えました。
その後もしばらくのあいだ、しのぶさんは涼介さんと相手の女性に対し攻撃的な言葉を浴びせ、営業中にも関わらず店に通い詰めるなど、荒れた日々が続きました。常連客になだめられ、最終的には離婚調停へ。調停では、「涼介さんがしのぶさんへ和解金として300万円を支払う」という内容で離婚が成立しました。
しかし、涼介さんは経営難、これから生計をともにするであろう相手女性も派遣社員で支払い能力は乏しく、実際に支払われるかは不透明なままです。あとに残されたのは、わずかな年金と細々続く自宅サロン、そして、四度目の離婚歴でした。
実の子どもたちはもともと、奔放な母と理解がありましたが、この騒動を機に距離ができてしまい、疎遠に。自宅のリビングに、たった一人。ふと、しのぶさんの口から言葉が漏れました。
「お願い、助けて……」
しかし、その声に応えてくれる人はもう誰もいません。しのぶさんはいま、深い不安と孤独のなかで日々を送っています。
