都内の中小企業で管理職を務め、新人教育にも長く携わってきた伊藤浩二さん(仮名・52歳)は、戸惑いを隠せない様子でそう振り返った。
「何が地雷だったのか、正直今でもよくわからなくて。自分の接し方が原因で辞められたらどうしようとか、ハラスメントだって言われたらどうしようとか、そんなことまで考えるようになったんです。『ダルい』とか『ウザい』って言われたほうが、まだ理解できます。でも、こんなことで『怖い』って言われるなんて……こっちのほうがよっぽど怖いですよ。私にも立場がありますから」
この一件以来、伊藤さんは部下の新卒社員と必要以上に関わらないよう、距離をとるようになってしまったという。
職場の若者との距離感に悩むのは、もはや伊藤さんだけではない。人材難の今、若者はいわば“希少財”であり、「ちょっとした言動で辞めてしまうのではないか」と不安を抱く人も多い。東京大学大学院講師で経営学者の舟津昌平氏に話を聞いた。
◆「○○ハラ」の濫立がもたらす若者への恐怖

一つめが、「ハラスメント恐怖症」、すなわち「何か言うと『ハラスメント』と言われてしまうのではないかという恐れだ。冒頭で紹介した伊藤さんのケースがまさにこれに当てはまる。ただし舟津氏は、「ハラスメント恐怖症」について「言葉だけが独り歩きした現象」だと指摘する。
「ハラスメントには本来、明確な要件があります。パワハラでいえば、①権力関係の利用、②職務を逸脱した言動、③業務への支障の三つが必要です。ところが現状では、『受け手が嫌なら何でもハラスメント』という扱いになりつつあります。
たとえば、上司の体臭が気になったとしても、それが業務に支障を及ぼしていなければハラスメントではありません。それを『スメルハラスメントだ』と若者が糾弾するのは、単なる悪口にすぎません」
◆英語圏に「パワハラ」という概念はない
舟津氏の言うように、最近は「○○ハラ」が濫立しており、中には「相手をハラスメントと指摘すること自体がハラスメントになりうる」という“ハラスメントハラスメント”という言葉まで登場している。上司も部下も互いに境界を主張し合い、「自分の権利が侵害された」と訴え合う状況が広がっており、「この構図は非常にまずい」と舟津氏は危惧する。「そもそも英語圏には『パワハラ』という概念はなく、同種の問題は“職場いじめ”として扱われています。本来、パワハラ対策とは、上司と部下の上下関係に限らず、職場におけるいじめそのものをなくすという極めてシンプルな趣旨だったはずです。
ところが日本では、個人間の感情的なトラブルにまで『パワハラ』という言葉が使われてしまっています。法整備も進んだ現在、ハラスメントは組織が向き合うべき課題であり、問題が起きた際には必ず第三者を交えて会社として対応することが欠かせません」

