いつまでも輝く女性に ranune

誰もが学びを諦めない社会へ。聴覚障害者の教育格差を変える留学支援

将来の夢を叶えるため、あるいは自身の興味関心を探求するため、学生のうちに「留学をしてみたい」と考える若者は多くいます。しかし、それを実現するためには高いハードルを越えなければいけない人たちがいます。障害と共に生きる若者たちです。

例えば、聴覚障害のある学生は、学習の場で手話通訳や字幕などの「情報保障(※)」を求めなければいけません。手話や文字で情報が提供されなければ、他の学生と同じように学びを得ることが困難だからです。

  • 「情報保障」とは、音声による情報やコミュニケーションを、聴覚障害者が理解できる形に変換して提供すること

そんな聴覚障害のある若者を取り巻く国内の進学環境には、多くの壁が残っており、聴覚障害者の受験を可能と明示する大学は45パーセント(※)にとどまります。また、受験可否を明らかにしない大学も多く見られ、学びたい分野があっても、キャリア形成に向かう前の段階から、ハードルに直面しているのが現実です。

  • 参考:一般社団法人全国障害学生支援センター「大学における障害学生の受け入れ状況に関する調査2024」

一方で、大学に進学する障害のある学生は、一般高校卒業生の進学率と比べて低いものの、増加傾向にあります。その中には、海外留学を視野に入れる学生もいるでしょう。

しかし、国内ですら十分な進学先が整っていない中で、海外留学をどう実現すればいいのか悩む学生も少なくありません。こうした聴覚障害者の留学を、奨学金制度を通じて支援しているのがNPO法人日本ASL協会(外部リンク)です。

本記事では、同協会で「聴覚障害者海外奨学金事業」を担当する、ろう者(※)の秋山なみ(あきやま・なみ)さん、きこえる人の根本和江(ねもと・かずえ)さんにお話を伺いました。

  • 「ろう者」とは、きこえない・きこえにくい人で、日本手話言語で話す人のこと

「前例がないから」と受け入れを断られてしまう現実

――日本の教育機関において、聴覚障害のある学生が直面している課題を教えてください。

秋山さん(以下、敬称略):やはり、聴覚障害者の受け入れ体制がいまだに整っていないことです。大学に限らず、高校を受験することさえ断られてしまうケースもあります。

理由の多くは、「聴覚障害者を受け入れた前例がないから」というもの。前例がないから、「情報保障」をはじめとする聴覚障害者の学習を支えるシステムが整っておらず、結局「うちよりも大きな学校に相談してください」と避けられてしまうのです。

ノートテイクによる支援の様子。授業中の音声情報を手書きで書き取り、文字で伝える方法を示している。通常は2人1組で、数枚ごとに交代しながらノートを書き継ぐ流れが、イラストで表現されている。
情報保障の手段「手書きによるノートテイク」。多くの大学で用いられている手段で、授業中の音情報を手書きによって書き取り、伝えていく方法。画像提供:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(外部リンク)
「連係入力によるパソコンノートテイク」の様子。聞こえてくる文章のうち、前半を入力者A、後半を入力者Bが打ち込むなど、複数の人が協力して文章を完成させていく様子が描かれている。
情報保障の手段「連係入力によるパソコンノートテイク」。授業中の音情報を複数人が協力して入力し、表示用パソコンに映し出す方法。インターネットを介し、離れた席や別の場所からでも入力できる方法もあり、主流になりつつある。画像提供:日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク(外部リンク)

――2021年に「障害者差別解消法(※1)」が改正され、事業者(※2)による合理的配慮の提供が義務化されましたが、いまだに聴覚障害者の受け入れを断る学校があるのですね。

秋山:残念ながら、それが実情です。背景としては、「義務化」はされたものの「罰則」が設けられていないことも影響しているのではないかと思います。

受け入れの姿勢は国によって大きく異なります。例えばアメリカでは、過去に「音楽の先生になりたい」という夢を持つ聴覚障害者の女性が大学に入学を断られたことがありました。「あなたは耳が聞こえないのだから、音楽の先生なんて無理でしょう」と言われたそうです。その女性は裁判を起こし、勝訴。大学側から多額の賠償金が支払われることになりました。

アメリカでは個人の人権が重視されているため、事業者側もそれを意識せざるを得ません。一方日本では、まだ権利保障が軽んじられている場合があるといえるでしょう。

  • 1.「障害者差別解消法」とは、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的に、2013年6月に制定された法律
  • 2.障害者差別解消法における「事業者」とは、商業その他の事業を行う企業や団体、店舗であり、目的の営利・ 非営利、個人・法人の別を問わず、同じサービス等を反復継続する意思をもって行う者  
「令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化」と題した説明画像。障害者差別解消法にもとづき、「不当な差別的取扱いの禁止」と「合理的配慮の提供が事業者にも義務となる」ことを解説している。障害を理由にサービスを拒否しないこと、社会的障壁を取り除くための対応が必要であること、そしてそのためには対話と相互理解が重要であると示している
「障害者差別解消法」では、障害を理由とする「不当な差別的取扱い」を禁止し、「合理的配慮の提供」を義務化することなどを通じ、共生社会の実現を目指している

秋山:だからこそ、留学を経験した聴覚障害者たちは、権利に対する意識が様変わりするようです。

留学前までは、「こんなことを求めたらわがままなんじゃないか」と悩んでいた人も、帰国すると「自分の権利を求めるのは正当なことなんだ」と気がつきます。そうやって気づいた人たちが社会に働きかけていくことで、日本全体がより良い方向へと変わっていくかもしれない。

私たちは「聴覚障害者海外奨学金事業」を通して、そんなことも期待しているんです。

――当事者が自分の権利を遠慮してしまうのは、社会のどんな状況が影響しているのでしょうか。

根本さん(以下、敬称略):大きな要因の1つは、障害者に関する情報が社会全体に十分浸透していないことだと思います。

少し前までは、教育現場でも障害者について学ぶ機会がほとんどありませんでした。そのため、社会の中で当事者と出会ったとき、どう接すればよいのか分からず、距離を取ってしまう人が多かったんです。

周囲の理解が乏しい環境にいると、「こんなことを求めたら迷惑だと思われるんじゃないか」と、当事者が助けを求めたり、権利を主張したりすることをためらってしまうんです。

取材に応じる根本さん
聴覚障害者は身近な存在だと話す根本さん

いまだに壁が残る、聴覚障害者の進学・留学・雇用の課題

――日本ASL協会が実施している「聴覚障害者海外奨学金事業」について教えてください。

秋山:2004年から日本財団の助成を受けて、ろう者・難聴者の海外留学を支援しています。対象は、日本やアジアのろう者コミュニティーをけん引していくことを目指す方。給付制の奨学金を通じて学費や生活面のサポートを行うほか、聴覚障害者の受け入れ体制が整った海外の教育機関との橋渡しもしています。

――同事業の目的や大切にしている考え方を教えてください。

秋山:そもそも日本では、長きにわたって、きこえる人と聴覚障害者の間に教育格差がありました。私と同世代のろう者の中には、ろう学校でも口話中心の授業だった影響で、英語の授業を十分に理解できず、文法の細かな仕組みが苦手な人たちがいます。

手話などの視覚的な学習方法が十分に保障されていなかった時代だったことが背景にあります。すると、必然的に進学先や就職先にも差が生まれ、ましてや留学なんて考えられない状態でした。

こうした教育格差を解消するために必要なのは、聴覚障害の当事者自身がアメリカ手話言語をはじめとする外国語を学んだり、海外留学を経験したりして、そこで学んだ知識や経験を日本の社会に還元していくことです。

本事業では、この考え方を大切にしているので、事業を通して留学した皆さんには日本の聴覚障害者のコミュニティーを盛り上げていってほしいですね。

取材に応じる秋山さん
ご自身のろう学校での教諭としての経験を踏まえ、聴覚障害のある学生の現状について話す秋山さん

根本:そして、この事業は若者だけを対象としているわけではなく、中には40代以上の応募者もいます。皆さん、「学生時代に思う存分勉強できなかったからこそ、大人になって社会に出た今、もう一度勉強し直したい。海外留学で学びを深めたい」と考えているようですね。

――留学先で得たものを日本の当事者コミュニティーに還元することで、日本の聴覚障害者の環境も前進していくように感じます。

秋山:そうですね。ただ、留学で学んだことを日本で活かしたいと思っても、帰国後の受け皿が十分に整っていないという課題があります。

例えば、帰国後に海外で学んだ分野を日本の大学院で深めようとしても、留学先で受けられた情報保障の水準が確保されていないことがあります。また、留学経験を活かして就職しようとしても、聴覚障害者にはまだ門戸が開かれていない、という現実が往々にしてあります。

その結果、「せっかく留学したのに、この経験を活かせないなんて」と壁にぶつかってしまうことがあります。これまで支援してきた方々を見ると、自分のやりたい分野で活躍できるようになるには、かなり時間を要するようです。

留学で得た学びを日本で活かそうと、環境づくりや下積みを続けていく中で、10年ほど経ってようやく力を発揮できるようになる方もいます。その過程で自分の居場所を新しく見つける人や、海外でさらなるキャリアを広げる人もいます。

――障害に対する教育問題は「雇用機会の平等」という課題にもつながってくるんですね。

秋山:過去に支援した方の中には、ろう英語教育の改善を志した方もいました。しかし、聴覚障害のある方がろう学校で正規採用されるには、採用試験の段階からさまざまな困難が伴うのが現実です。

だから、留学支援をすると同時に、聴覚障害者の雇用についても考えていかなければいけないと常に感じています。

あなたにおすすめ