
新書『アメリカ合理主義の限界』は、派手な事象を追いかける本ではない。むしろ、「どうしてこうした人物の言葉が届くのか」という問いから、政治・制度・SNS・労働・文化に広がる“説明の不足”と“納得の難しさ”を丁寧に拾い上げていく。強く語る人が注目され、複雑な事情が置き去りになる社会。その構造を理解すると、トランプとマスクが“時代の象徴”になった理由が見えてくる。そして著者が示す重要な視点は、こうした変化が日本にも静かに広がっているという点だ。改革疲れ、制度への不信、SNSの偏り。アメリカの問題は遠い国の話ではなく、生活の実感に近い部分にも通じる。
今回は久保内氏に、“アメリカのいま”と“日本のこれから”について聞いた。
◆トランプ×イーロンは、いまのアメリカの「見取り図」
――まず、なぜ入り口に“トランプ×イーロン”を置いたのでしょう?トランプとマスクは背景も立場も違うのに、どちらもアメリカを理解するための“目印”になっているからです。語る内容は真逆ですが、人々の感情を掴む力が共通している。その“掴み方”に、いまのアメリカ社会が抱える問題が表れています。二人の共闘はあっという間に崩壊しましたが、それは必然でした。
――二人はどこが共通しているのでしょう?
端的に言えば、「今のやり方に収まらない」という点です。トランプは“昔のアメリカ”を持ち出し、マスクは“未来の理想像”を提示する。方向は正反対ですが、どちらも既存の枠の外側から語る。その語りが、人々の不満や期待と結びついたのだと思います。
◆「説明が足りない国」になったアメリカ
――“既存の枠”が弱くなったのはなぜですか?政治や制度が、かつてのように“共通の納得感”を生み出せなくなっているからです。判断だけは早く下される一方で、「なぜそうなるのか」が生活者に届かない。結果として、“理由が見えないまま物事が進んでいく感覚”が広がっています。
――それ、かなりストレスですよね。
実際、アメリカの友人と話していても、「説明されていない気がする」「気づいたらいろいろ決まっている」という言葉がよく出ます。医療や教育、働き方など、日常の多くの領域で似たことが起きており、こうした“理由の不在”が、強い語りの人を押し上げる土壌になっています。選挙や公共政策だけの問題ではなく、生活の隅々に広がる感覚なんです。

