◆真っ赤なバラの花束を持った「初老のサラリーマン」
初老のサラリーマンが、真っ赤なバラの花束を片手に一人で来店した時の話も印象深い。一人客は、大抵店から嬢を呼ぶので、花束は嬢に渡すものだろう。これが“痛客”ってやつかと感心したのを鮮明に覚えている。その10分後に「304号室でーす」と言ってフロントを通過する嬢。そうして数時間経った頃、先に嬢が足早にフロントを通過して出ていき、それから数分経って背を丸めたサラリーマンが鍵を返却して出ていった。清掃開始のアナウンスが休憩室に流れ、304号室に広がっていたのは、衝撃の光景だった。
床に叩きつけられた花束と安物のアクセサリーの箱、中途半端に記入された付録の婚姻届、挙句の果てにゼクシィは無残にもゴミ箱に投げ込まれていた。まるで魔法陣のような配置で部屋に散乱しており、すっかり修羅場のあとのようであった。落ちている婚姻届を拾いあげるとやはり男性側の名前だけが記入されていて、記入日の記載が2週間前だったことからかなりの準備をしてきたことがわかった。
その熱の入りように、僕は一瞬でも彼を痛客などと思ってしまった自分を恥じた。ああいう純粋さを孕んだ愛こそが現代に足りないのかもしれない。愛をもってして成し遂げられないことなどこの世には存在しない。もっとこのラブホテルで嬢との愛を育んでプロポーズに再チャレンジしてほしかったが、結局二度と彼の姿を見ることはなかった。
これらの出来事を目にした僕は、ラブホテルにおけるゼクシィは不幸の象徴だと思い込んでしまっていった。自分に結婚したい相手ができてもラブホでゼクシィを読むのはやめようと固く誓ったほどだ。
◆もちろん時には“成功例”も
また別の日に、若くてお洒落な初見カップルが部屋を出て行った。その部屋の清掃に向かうとガラステーブルに巻末の開かれたゼクシィが置かれていて、付録の婚姻届が綺麗に切り取られていた。ゴミ箱やベッド下にも婚姻届は見当たらず、それが持って帰られたのだとわかった時、開け放った窓から差し込む陽の光が僕の心と身体を優しく包み込んだ。もちろんそれが幸福な結果になったとは限らないが、そんなことはどうでもよかった。それから数週間後、そのカップルが来店した。ふたりの薬指には細身でシンプルなシルバーの指輪がついていて、彼らがカップルから夫婦になったのだと確信させた。今でもコンビニでゼクシィを目にするたび、あの指輪の輝きを鮮明に思い出す。
あなたにはゼクシィを一緒に読みたい誰かがいるだろうか。もしかしたら次のラブホデートにゼクシィを持ち込もうと思っている人もいるかもしれない。その選択がふたりの幸福な未来へ繋がることを信じている。
<TEXT/千馬岳史>
【千馬岳史】
小説家を夢見た結果、ライターになってしまった零細個人事業主。小説よりルポやエッセイが得意。年に数回誰かが壊滅的な不幸に見舞われる瞬間に遭遇し、自身も実家が全焼したり会社が倒産したりと災難多数。不幸を不幸のまま終わらせないために文章を書いています。X:@Nulls48807788

