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警察官の自死、なぜ相次ぐ? 「私も一歩間違えば…」暴君上司の壮絶パワハラで退職、OBが振り返る“組織体質”の闇

警察官の自死、なぜ相次ぐ? 「私も一歩間違えば…」暴君上司の壮絶パワハラで退職、OBが振り返る“組織体質”の闇

警察官の自死を報じるニュースが後を絶たない。直近でも、11月に警視庁西新井署、兵庫県警明石署でそれぞれ男性巡査長の自死が報じられた。

「私も一歩間違えば・・・」。

古巣の警視庁や全国で相次ぐ訃報に心を痛め、「元警察官としてどうしても伝えたいことがある」と自身の体験をつづり、寄稿してくれたのは『警察官のこのこ日記』(三五館シンシャ)の著者で警察官OBの安沼保夫氏だ。同書には納められなかった上司のパワハラによる苦悩の日々を、‟番外編”として赤裸々に記した。

現役時代、「危機は3度あった」と述懐する安沼氏。絶望的な状況をどうやり過ごし、いかにして立ち直ったのか…。(本文:安沼保夫)

見せしめ懲罰「マンキョウ」とは

警察官時代に思い悩んだ時期が3回ありました。

1回目は警察学校時代です。警察学校では厳しい訓練に加え、教場当番という日直みたいなものがあるのですが、何かミスしたら万年教場当番(通称、マンキョウ)といって教場当番をしばらくやらされる見せしめ懲罰のようなしくみがあります。

教場当番は「当番」と書かれた緑の腕章をつけるのですが、これを毎日つけていると他の教場の学生からも「あいつ何かやらかしたんだな」というのが分かります。これが屈辱的でみじめでたまりませんでした。

教場内からは、同情して協力的になってくれる者もいれば、「自己責任だろ」と切り捨てる者もいました。

後者の同期からは「お前警察官に向いてないんじゃないの?」と言われたこともありました。家族や友達に「警察官になる」と大見得を切った手前、今さらノコノコと帰る訳にはいきません。

「死にたい」と思ったことはありませんでしたが、「死んだ方が楽かも」と思ったことはあります。

乗り切ることができたのは、「警察学校卒業」というゴールが決まっていたということでした。どんなにボロカスに言われようと、警察学校さえ卒業できれば何とかなる。それが希望でした。

お局、女性職員による陰湿な圧

2回目は女子留置施設で勤務していた頃です。

拙著ではカットされましたが、本部の女子留置施設で2年ほど勤務していました。所轄の男子留置施設とは違う独特のルールになかなか慣れることができず、いわゆる「お局」からグチグチ言われたり、テキパキと仕事をこなすバイトリーダー的女子からの突き上げがあったりと、胃の痛くなる日々でした。

そんな中、誤投薬事故(薬を与える被収容者を間違える)を起こしてしまい、夜勤明けで始末書を書かされ、帰宅が深夜になったこともありました。

それから些細なミスをする度に担当上司やお局から厳しく叱責され、女性職員からも冷ややかな目で見られ、警察学校時代のマンキョウとはまた違った屈辱を味わっていました。

「このままだと病んでしまう」。本能的にそう思い、異動を申し出ました。

幹部もさすがにまずいと思ったのか、私の上司を変えたりするなど配慮をしてくれました。当時の私は四面楚歌でしたが、味方になってくれる同僚もいたので、それが救いでした。

暴君上司の壮絶パワハラ

3回目は退職のきっかけとなった本部留置H分室で勤務していた頃です。

この留置分室では完全にルールを逸脱した行為が横行しており、特に私の担当上司であった某「暴君警部補」から目を付けられ、完全に無視されていました。

暴君はよく「嫌なら辞めろ、代わりはいくらでもいるんだからよ」とよく独り言のように言っていましたが、明らかに私に対する当てつけでした。

そして幹部連中もそのことに薄々感づいていながらも、部下である「暴君警部補」に何も言えない状態でした。

当時コロナ禍でしたので、私はコロナ専用留置場に一時的に異動となるのですが、それが暴君から離すためのせめてもの温情のように感じました。

絶望の日々を救ってくれた書物

新宿署留置施設などの集団クラスター発生による激務を経て、勤務に余裕が出てきたときに、被留置者用の官本を読んだりしていたのですが、そのときに三五館シンシャ日記シリーズの『交通誘導員ヨレヨレ日記』に出会いました。

それから同シリーズを次々に読んで職業観が変わり、「嫌なら辞めろ、代わりはいくらでもいるんだからよ」という言葉がむしろ「私が辞めても代わりはいくらでもいる、だから好きな仕事を選ぶ」というポジティブな意味に捉えられるようになりました。

こうして私は3回のピンチを乗り越えてきました。今振り返ってみれば出版してネタにすることもできたので「あんなこともあったなぁ」としみじみもしますが、こうして書いていて辛く悔しい思いもよみがえってきます。

当時の私は上司に反抗したり、パワハラを告発したりする勇気もなく、ただただ黙って耐えるだけの日々で出口の見えないトンネルの中にいるような感覚でした。

警察官の自死のニュースを見る度、「私も一歩間違えば・・・」と思わずにはいられません。

事後検証のないことが何よりの問題

この寄稿をしようと思ったのは、11月7日に発生した警視庁西新井署での男性巡査長の自死でした。そしてこの記事を執筆している最中、兵庫県警明石署においても男性巡査長が自死するという痛ましいニュースが飛び込んできました。

一連の事案に関して西新井署署長は「拳銃使用による職員の自殺容疑事案が発生したことは誠に遺憾。今後、事実関係を明らかにする」。明石署副署長は「原因は調査中だが、このような結果となり残念だ」とそれぞれコメントを出しております。

また、2023年に発生した警視庁高島平署での事案では、当時の署長が「誠に遺憾。事実の詳細については調査中であり、今後事実関係を明らかにし再発防止に努める」とコメント。2019年の警視庁原宿署の事案では、当時の署長は「誠に遺憾。事実関係を明らかにし再発防止に努める」とコメントしています。

「遺憾」「調査」「再発防止」

このテンプレ回答を聞くたび、私は「何を調査してどう活かしているのか」と疑問に思います。というのも、そのフィードバックがなに一つ現場の警察官に向けられていないからです。少なくとも私の現職時代は調査結果について何も知らされていません。

特に、原宿署の事案では1月2日に亡くなったN警部補は1月1日未明の初詣警備に従事しており、そのときに発生した竹下通りの自動車暴走事故との因果関係が示唆されていました。

そして週刊誌の報道でパワハラ疑惑や妻への遺書めいたLINEがあったとされていますが、それについての説明は何もありませんでした。

たまたま私の同期がN警部補を知っており、「あんなに温和でまじめな人が、どうして・・」と悔しそうに語っていたのをよく憶えています。

亡くなった方からは何も聞くことはできませんが、上司や同僚、家族から聴取することはできます。組織は聴取をしているはずなので、その結果を要すれば第三者委員会も設置して、充分に検証すべきだと思います。

■安沼保夫(やすぬま・やすお)
1981年、神奈川県生まれ。明治大学卒業後、夢や情熱のないまま、なんとなく警視庁に入庁。調布警察署の交番勤務を皮切りに、機動隊、留置係、組織犯罪対策係の刑事などとして勤務。20年に及ぶ警察官生活で実体験した、「警察小説」では描かれない実情と悲哀を、著書につづる。

配信元: 弁護士JP

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