私が行政書士として生活保護の相談を日々受ける中で、行政の「ミス」によって生じた保護費の返還や、不当な徴収、減額をめぐり、受給者の生活を脅かす深刻な問題に直面することが少なくありません。
ある日突然、行政から「過去に支給した保護費は間違いだった」として高額な返還命令が下されたり、あるいは法的に不当な理由で「収入」と認定され、生活費から一方的に差し引かれたりするケースです。これらは、運用次第で、受給者の「健康で文化的な最低限度の生活」を侵害しかねないものです。
今回は、私の事務所がある大阪府内で発生した複数の事例をもとに、行政の誤りによる「返還命令」と「不当な徴収」という問題について、行政がとるべき手段の「法的な正解」とは何だったのか、考えます。(行政書士・社会保険労務士 三木ひとみ)
行政の過失による誤支給と不当な返還命令
家族の扶養の下で生活していたユリさん(仮名・70代女性)は、「措置入所」により、自身や家族の意思に反して特別養護老人ホーム(特養)に強制的に入所させられました。
なお、ユリさんの家族は、この「措置」が理由のないものであり違法だとして抗議し続け、1年半経過後、ユリさんはある日突然、何の説明もなく家族の下に帰されることになります。
ユリさんが特養に入所させられてから、ユリさんの生活にかかる費用等をまかなうため、生活保護の受給が開始されました。ユリさんは「措置」入所であるにもかかわらず、市は、「契約」入所の場合に支給されるべき「介護施設入所者基本生活費」(月額3万1070円)を約1年間にわたり、誤って支給し続けました。
そして約1年後、市は自らの誤りに気づくと、この「基本生活費」の支給を突如停止。そればかりか、過去に遡り、すでに支給済みの約41万円全額の返還を本人に命じたのです。
この事案が深刻なのは、保護費の受給と管理が、裁判所によって選任された成年後見人(弁護士)の関与のもとで行われていた点です。
後見人は、市からの「支給決定」という行政処分を信頼し、その適法性を前提として金銭管理を行っていました。ところが、行政側が一方的にその決定を「間違いだった」と覆したことになります。
市が「誤支給」だとして返還を命じた約41万円は、貯蓄されたり、浪費されたりしたわけではありません。それらは、後見人の管理の下、すべて生活費や介護保険料(※)に充てられていました。レシートや領収書等も後見人が全て保管しており、確認できますが、いずれもユリさんの生活に必要不可欠な出費です。
※生活保護受給者も法律上、介護保険料の納付義務を負っています。ユリさんが支出した介護保険料は、本来は生活扶助の「介護保険料加算」によりまかなわれるべきものでした。
行政が過ちを認めたのに請求を続ける理不尽
タケヤさん(仮名・70代男性)は、2013年3月、突如、約50万円を返還するよう請求されました。そして、現在もなお、当時の請求額のまま請求が継続しています。
特筆すべきは、この件に関して当時の福祉事務所長が書面にて『受給者本人には責任はなく、福祉事務所担当者の錯誤により本来の受給額を過分に支給したため、返還請求させていただくことになり申し訳なく思っております』と、過失を明確に認め謝罪を表明する通知文が出されている点です。
行政が「担当者の錯誤(ミス)」であり「本人に責任はない」と公式に認めているにもかかわらず、返還請求は撤回されず、タケヤさんは長年にわたり、請求書を定期的に受領しています。
タケヤさんの生活保護費は毎月の最低生活費に充てられ消えてしまうため、請求を受けても支払いができません。したがって、生活保護費は減額も停止もされていません。
それなのに、ただ機械的に、毎年請求書が公費で送られ続けています。
このような奇妙な現象はタケヤさんの件だけでなく、全国で起きています。
行政が取るべき法的な「正解」は「返還免除」規定の適用
上記いずれのケースでも、行政は、自らの過ちが発覚した時点で、機械的、冷徹に全額返還を命じるのではなく、法が定める適切な手続きを踏むべきでした。
もちろん、行政の錯誤による場合であっても、徴収権限自体は生じます。そのこと自体はやむを得ないことです。単純な計算の上では、本来受給すべき額より多くの額を受給している以上、その人に対し差額の返還を求めるのが筋ではあります。
しかし、現実問題として、その原則を貫くと、非常に酷な結果をもたらすことがあります。そこで、生活保護法は、保護の実施機関(市区町村)に対し、返還額を決定する際に裁量(判断の余地)を与えています。
すなわち、返還を求めることが「当該世帯の自立を著しく阻害すると認められるような場合」や、金銭が「自立更生のためのやむを得ない用途にあてられた額」(浪費ではない、生活維持に必要な費用)であると認められる場合は、その額を免除(控除)することも可能です(生活保護法63条)。
ユリさんのケースは、必要不可欠な費用に使われたことが明らかであり、その返還を強いることは、「自立を著しく阻害すると認められるような場合」の典型例でした(しかも、上述の通り、介護保険料の支払いに充てられた分は、本来は「介護保険料加算」が行われるべきだったものです)。
また、タケヤさんのケースのように行政が全面的に過失を認めている場合も同様です。行政は、生活保護法63条の趣旨を踏まえ、速やかに「返還免除」の決定を下すべきだったといえます。
原因が行政の過失である場合、その徴収は、被保護者の自立助長を阻害しないよう極力抑制的かつ慎重に行うべきです。
特に、ユリさんの事例のように、行政の重大な過失が原因であり、かつ金銭が生活維持に必須な使途に充てられている場合、行政はまず生活保護法63条の「裁量による免除」を最大限に適用し、債権額を最小限に留めるべきです。
その上で、残る債権の回収に際しても、債務者の生活状況を常に把握し、生活保護法が禁じている「保護費を財源とした納付」(同法58条)を事実上強いることがないよう、配慮が求められます。
泣き寝入りを強いられる受給者と「司法アクセスの壁」
行政側に問題があるにもかかわらず、なぜ受給者は不当な返還命令に苦しめられるのでしょうか。行政書士が現場で見るのは、圧倒的な「司法アクセスの壁」です。
生活保護受給者が法テラス(日本司法支援センター)を利用して弁護士に相談しても、「行政が決めたことだから、無理でしょう、あきらめるしかない」といった返答で、受任を拒まれたという話は、残念ながら頻繁に耳にします。
生活保護の事案は、労力に見合う報酬(利益)が得られにくいため、手間暇と費用を天秤にかけ、受任を渋る専門家は少なくありません。結果として、資力も人脈もない受給者は、法的にどれだけ理不尽な問題に直面しても「泣き寝入り」するしかない実態があるのは、紛れもない悲しい現実です。
ユリさんの件は、ある国会議員を介して厚生労働省に確認が行われていますが、こうした「政治的なつながり」がなければ行政の過ちが正されないという現状は、憲法が定める「法の下の平等」(憲法14条)の観点からも極めて深刻な問題です。
生活実態を無視した過酷な「徴収」も
行政が返還請求を行う場合、その「徴収方法」が、受給者の生活実態を無視したものであるケースも後を絶ちません。
シングルマザーとして2人の男児を育てるユキコさん(仮名・30代)は、2017年1月付けで約10万円の返還請求を受けました。さらに、同年夏には、担当ケースワーカーより、「翌月は5万の支払いになります」と口頭で通告されました。
ユキコさんは、食べ盛りで食費のかさむ男児2人を養育しており、このような高額徴収が強行されれば、最低生活費が保障されず、家族3人の最低限度の生活すら守られなくなることは明白でした。
生活保護受給世帯、特に子育て世帯に対して、月額5万円もの返還を求めることは、実質的に「生活するな」と言っているに等しい暴挙です。
自身の暮らしを守るため、ユキコさんは私の行政書士事務所に相談に訪れ、受給期間中の支払免除と口座振替による強制天引きの停止を強く要望せざるを得ませんでした。
不当な収入認定と保護費の不法な徴収
次の事例は、誤支給による返還命令ではなく、「収入認定」を誤り、受給者の生活費を実質的に不法に徴収したケースです。
大阪在住のアンザイさん夫婦(仮名・70代)は、生活苦から負った多額の借金(約400万円)を抱えていました。なんとか生活保護を受けられるようになったときには、借金で首が回らない状態でした。
遠方に住む娘のアヤさん(仮名)は、仕送りなど扶養はできないものの、親が生活保護受給前に負った借金は信義則上、自分が返さなければいけないと思い込み、アンザイさん夫妻の生活保護受給決定後に毎月の返済を肩代わりして払っていました。
これを知った役所は、この娘による「親の借金返済の肩代わり金」を「収入」と認定したのです。そして、老夫婦の生活保護費から毎月数万円を一方的に減額・天引きして支給していました。
この対応には、2つの法的な誤りがあります。
第一に、そもそもアンザイさん夫婦はアヤさんから直接の経済援助を受けたわけではありません。しかも、アヤさんが借金を返したところで、アンザイさんの財産がプラスになることもありません。
生活保護受給者がやむを得ず生活苦から背負った多額の借金を抱えていて、保護費からは到底返せない場合、法テラス制度を利用することで、自己負担なく法の専門家である弁護士に依頼し、自己破産手続きをすることができます。
行政は本来、すみやかにこの情報を伝え、自己破産手続きをとるように指導するべきでした。しかし、責任感から遠方の娘が親の代わりに返していた借金を「収入」と認定し、高齢の親の保護費から天引きしていたことは、法解釈の重大な誤りであったといえます。
第二に、行政が本人の同意なく、保護費から返還金や徴収金を差し引いた金額を支給したことは、生活保護法58条の趣旨に反します。
同条は「被保護者は、既に給与を受けた保護金品及びこれを受ける権利を差し押さえられることがない」と規定しています。なぜなら、生活保護費はその月の「最低限度の生活」を保障するための最後の砦だからです。
実際に受け取っていないお金を保護費から天引きして支給する行為は、事実上、差し押さえを行っているに等しく、法の理念に反しています。
この事例では、行政書士による指摘で即座に天引きが止まり、老夫婦は法テラスを利用して自己破産し、娘さんも親が生活苦から背負ってしまった過去の借金返済の負担から解放されました。しかし、娘さんが声をあげなければ、不当な減額が続いていたことでしょう。
法の理念と行政の責務
取り上げた事例は氷山の一角に過ぎません。行政のミスによって生じた返還命令や徴収の問題で悩み苦しんでいる人達は、全国にいます。
行政の裁量権の適切な行使は、精密な天秤を扱うようなものです。最低生活の保障という重さを守りつつ、発生した債務を公平に測るためには、法の定める「免除規定」など調整のための錘(おもり)を慎重に使う必要があります。行政の過失による負担を市民に一方的に負わせることは、この天秤の均衡を著しく崩す行為に他なりません。
■三木ひとみ
行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所)
社会保険労務士(ひとみ社労士事務所)

