退居の決断と、再設計された老後
坂井さんは、結局その月の終わりに退居を決めました。管理費、短期退居による追加費用、新居の初期費用。合計で約100万円近い出費になりました。けれども、坂井さんの表情は、むしろ穏やかでした。
「お金は減ったけど、心が軽くなりましたよ」
その後、月12万円のサービス付き高齢者向け住宅を選びました。過度な干渉もなく、必要なときにスタッフがそっと声をかけてくれる距離感。「ここなら、自然体でいられます」と坂井さんはいいます。
ある面談の日、坂井さんは筆者にこう語りました。
「豪華な場所ほど、自分が“場違いじゃないか”と考えるような気がします。年を取ると、見栄よりも、安心して息ができる場所が一番だと気づきました」
筆者は深く頷き、それからこう伝えました。
「住まい選びは“お金”で選ぶものではなく、“自分の心が落ち着く環境かどうか”が本質です。数字はあとから調整できますが、心の摩耗は回復に時間がかかります。今回の決断は、後悔しない選択だと思いますよ」
坂井さんは「ありがとう」と小さく笑いました。その姿には、あの重たい表情はもうありません。
老後の暮らしは、豪華な設備が整っていても、そこで「自分らしく呼吸できるか」で大きく変わります。お金の計算と同じくらい、心の計算も大切なのだと、坂井さんの事例は教えてくれます。
波多 勇気
波多FP事務所 代表
ファイナンシャルプランナー
