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「私、どう考えても日本人じゃないよね」20歳ではじめて自分が“ハーフ”だと知った女性の“出生の秘密”――大反響セレクション

「私、どう考えても日本人じゃないよね」20歳ではじめて自分が“ハーフ”だと知った女性の“出生の秘密”――大反響セレクション

◆ヤングケアラー、介護うつ、摂食障害で「人生のどん底」

——大学卒業後、どんな日々を過ごしていましたか?

スポーツジムで働いていましたが、22歳のとき、父の足が悪くなって、生活が一変しました。お酒とタバコをやめず、肺がんもあって介護レベルは「4」。「酒買ってこい!」って怒鳴られたり、コンビニで倒れて帰ってこなかったり。本当にしんどかったです。

一度「うるさい!」って思わず言ってしまって、「俺はこうなりたくてなったわけじゃない」って父に返されて、自己嫌悪に陥りました。家に帰りたくなくて、夜はジムでずっと走ってました。

——ヤングケアラーだったのですね。

食事は炭酸水だけで過ごす日々が続いて、2ヶ月で8キロ痩せました。でもそのあと、反動で今度は過食に。2ヶ月で15キロ増えて、体も心もボロボロでした。モデルの仕事も、ジムの仕事も、体が資本なのに、自分が壊れていく感覚でした。

周りの友だちはまだ介護をしていないから、誰にも相談できない。今思えば“介護うつ”だったんでしょうね。

——どうやって立ち直っていったのでしょうか?

うつを経験した友人に話を聞いてもらったり、自己啓発本を読みました。『3週間つづけば一生が変わる』という本に救われて、「ちょっとできたら自分をほめよう」と思えるようになったんです。スタバに行ったり、運動したり、好きなことを少しずつ増やしていきました。

◆母の死をきっかけに「体外受精で生まれた」と発信

幼少期
幼少期
——出生のことを発信しようと思ったのは、どんなきっかけがあったんですか?

母が亡くなったときに「母が亡くなりました」とInstagramに投稿したら、「もしかして体外受精ですか?」とDMが届きました。

その方も48歳で高齢出産をして、旦那さんは当時60歳。精子と卵子、両方とも提供を受けた“ダブルドネーション”で娘さんを産んだそうです。「誰にも言えずにいたけれど、あなたの投稿に救われた」と言われました。

それで「私は体外受精で生まれました」と発信することにしたんです。Threadsでは3万以上のいいねがついて、反響の大きさに驚きました。

——発信することに、不安はありませんでしたか?

ありました。「かわいそう」と思われたくない気持ちが強かったから。でも、私の存在が誰かの希望になるなら、意味があると思えました。「体外受精で生まれた私が今こうして元気に生きてますよ」って姿を見せたかったんです。

——発信して変わったことはありますか?

いろんな人がDMをくれるようになって、「この子を高齢で育てられるか不安だったけど、エリさんみたいに育ってくれたら嬉しい」と言ってくれたママもいました。「不安だけど産みたい」「諦めかけてたけど、選択肢として前向きに考えられるようになった」というメッセージもいただいています。

それって、母が私に命をくれたからこそできることなんです。母は、私を産んだ時には既に仕事はリタイアしていて、一心に愛情を注いでくれました。スマホも持たず、70歳からピアノを始めて、「何歳からでも遅くない」と背中で見せてくれました。母と私の人生が、誰かの未来につながるなら、こんなに嬉しいことはないですね。


配信元: 日刊SPA!

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