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「この世界でどう生きる?」──アリ・アスター監督が語る、“加速する現実”と映画の役割

「この世界でどう生きる?」──アリ・アスター監督が語る、“加速する現実”と映画の役割

「なぜ誰も描かないのか」──現代を題材にした理由

なぜ現代社会の恐怖──SNS、コロナ禍など──を今回、映画にしたのだろうか。その問いにアスター監督は、ごく真っ直ぐこう言い切った。

「まさに起こっていることだから作ったわけです。むしろ、なぜ他の作品がこの題材を扱わないのか、少し混乱しているくらいです」

“混乱”という言葉から、むしろ彼にとってこの映画化は必然だったのだとわかる。
「2020年に始まった一連のプロセスはまだ続いており、過去のことではないですよね。私たち自身がその渦中にいるため、社会全体がまだこのできごとを消化しきれていないのかもしれません」
そう監督が語るように、世界中を席巻した2020年の不安は、映画の“根”になっている。そしてそのまま世界的に戦争や政治的な混乱は続いているといえるだろう。

「2020年当時、私は家族のいるアメリカ・ニューメキシコに滞在していました。ウイルスを非常に恐れ、あらゆることに気をつけ、慎重になっていました。そして、このロックダウンが永遠に終わらないのではないかという不安を感じていたことをよく覚えています」

この「永遠に終わらないのでは」という感覚は、多くの人が共有していたはずだ。
監督自身も例外ではなく、それは圧倒的にリアルな恐怖の源泉だったのだ。だからこそ本作が生まれた。過去作『ヘレディタリー/継承』(2018年)、『ミッドサマー』(2019年)、『ボーはおそれている』(2024年)に比べ、私たちにとってかなり身近なテーマ。だからこそ、感情が大きく動かされる。

SNSを観察して見えた“残虐さ”と“加速度”

『エディントンへようこそ』では、作中にSNSやオンラインの画面が何度も挿入される。

「現代人はインターネットの中に生きており、誰もがアルゴリズムに影響されています。それぞれが得る情報が違うために、お互いの話がまったく通じなくなっているという状況を描いています」
確かに、登場人物は全員それぞれ信じているものが違う。それゆえのスレ違いや対立は、責められるものではないし、それは作中だけでなく、私たちが生きる現実世界でもそう。思い当たることがあるはずだ。

監督は脚本執筆時に、普段よりSNSを頻繁に観察したという。
「ミーム文化の中で嘘が非常に速く広まること」「分離主義や極端な思想が増長していること」「言葉がより残虐になり、人々の最悪の衝動が抑制されなくなっていること」
に危機意識を抱く。

「この状況は、本当に悲劇的だと思っています。それに、どんどん悪くなっている」

この“観察者としての冷静さ”は、ホラー映画の作り手という肩書きを越えて、時代を読み解く作家のまなざし。私たちは、そのメッセージを映画という物語から受け取る。

配信元: Harumari TOKYO

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