妻との関係が冷えた原因
Fさんと妻のMさんとの夫婦関係は冷え切ったものになっていました。原因のひとつは、一人娘の不登校。
中学2年生から不登校となったのは、父親であるFさんによる教育虐待が大きく影響しています。中学に入学したころから勉強が苦手で、成績は学年でほぼ最下位の娘に対し、努力が足りない、怠け者だ、行ける高校がないなどと毎晩のように叱責したのです。不登校のまま中学を卒業しましたが、高校に行かず自宅にこもる娘に対し、Fさんは「高卒認定試験を受けて大学に入学するという選択もある」などと追い打ちをかけるようなことを言い続けました。
ある日、妻Mさんから、娘は茨城県にある妻の実家で当面暮らすことになったと聞かされます。そして父Fさんとは二度と会いたくないといっているということも。Fさんは慌てて娘の携帯に電話をしましたが、LINEも含めすべてブロックされているのがわかりました。
それから妻Mさんと二人暮らしです。Fさんが娘と過ごせたのは15歳のときまで。運動会や卒業式といった学校行事には一切顔を出さず、仕事を優先してきました。娘と向き合うのは、成績をなじり、叱責するときだけ。「父親らしいことはなにもしていない」と、そのことを妻に責められ続けました。
さらにもうひとつ、妻Mさんとの関係を悪化させた原因があります。妻Mさんの4歳年上の兄が48歳で脳卒中を発症したときのこと。発症直後は言葉を発することもできず、左半身が完全に麻痺していました。急性期病院での2ヵ月の入院と回復期病院での4ヵ月の入院を経ても、回復はほんのわずかでした。
兄は独身であったため実家で介護をしながら、デイケアに通いリハビリに取り組むことに。妻Mさんと両親、妻の妹がヘルパーの助けも借りながら交代でベッドからの移乗や排せつの世話を行い、デイケアに送り出すという日々となりました。都心から茨城県南まで頻繁に通う日々があまりにもハードに思えたFさんは、ついこんなことをいってしまいます。
「生命保険から高度障害保険金が7,000万円おりたじゃないか。施設に預けてもいいと思うよ」
その生命保険は、かつてFさんが義兄に売ったものでした。療養のために使えるお金があるのだから有効に使おうよという意味で発言したのですが、妻Mさんは激怒しました。
「よくそんな無神経なことがいえるよね? なぜ兄を自宅で介護しているか気持ちわかる? 兄の後遺症は重症だけれど、毎日のように会って手足をマッサージしてあげていると、変化がわかるの。少しだけど、腕が動くようになった。丸まっていた手が少し開くようにもなった。歩けるようになるにはまだ数年先かもしれないけど、まだ40代だし、家族みんな希望を持っているの」
夫Fさんは、しまったと思いました。Fさんにとって介護も脳出血も身近な人で経験したことがないのです。生命保険の勧誘トークのなかにしかその単語はなく、いつも机上の知識だけで語っていました。
「施設に預ければ楽になる? あなた妻の私に関心を持ったことある? 人の気持ちって理解できませんか? あなたが兄と同じ状態になったら、保険金で施設に預けて私は離婚しますから。財産分与はきっちりもらいます。そういうことでしょう」
それから深夜まで、妻Mさんからは他人に対する無関心さと無神経さについて、かなり口汚く罵られてしまいました。
「保険を売って成功者気取りだけど、定年したらタダのおっさんでしょ? なにを勘違いしているの? 学生時代も受験の点数ばかり追いかけて人の気持なんかわからない子供だったんでしょ? だから自分の娘の心も壊すんだよ。自覚ある?」
娘を壊したというのはあまりにきつい言い方でした。その娘も介護を手伝っているとのこと。Fさんは娘のそんな姿を想像すらしたことがありませんでした。気にしていたのは、娘が父親の自分を無視しているということばかり。確かに身勝手な人間だという自覚はあります。妻がまだFさんと同居しているのは、娘の経済的な基盤を守るためかもしれません。
妻との関係は悪化の一途を辿り、職場と正反対に家庭では尊敬されることなど一切ありません。
仙台出張の夜、祝杯をあげた先…
Fさんの心の隙間を埋めたのは、部下のKさん(30歳)でした。Fさんの部下の営業所長がリクルートした営業社員。前職は住宅メーカーの営業職です。仕事の飲み込みはいまいちで営業成績はぱっとしないものの、人当たりがよく、支社のムードメーカーでした。プライドの高い男性営業社員が多い会社のなかで、Kさんは明るい性格で、支社長のFさんが特に目をかけるようになったのです。
入社から一年が過ぎたころ、営業先が枯渇して困っているKさんに、Fさんは自分がかつて販売した法人客への追加販売を任せることにしました。仙台にある中小企業へ2人で出向き、Fさんがすべての商談を行い、追加契約をもらって、Kさんの成績とするのです。これでKさんが営業成績の査定をクリアできるという目論見でした。
仙台での商談は夕方から。大きな金額の商談となりましたが、支社長Fさんの力によって無事申し込みとなりました。喜びを爆発させるKさんと仙台でそのまま祝杯をあげようということになり、その夜は県内のホテルに宿泊することに。そして、そこで支社長Fさんは部下であるKさんと関係を持つに至ったのです。
FさんがKさんにのめり込むのに時間はかかりませんでした。Kさんとは、妻Mさんとはできない会話ができ、仕事の悩みも打ち明けられる。それを受け止めてくれるKさんに、Fさんは少しずつ依存しはじめました。
支社のメンバーからは支社長によるKさんへの付け替え成績に対し、露骨なえこひいきだという批判が起きているようでした。Kさんの担当の営業所長も、支社長に感謝しつつ、あまりにも契約が大きすぎてほかのメンバーが不満を持っていると懸念を伝えてきました。
支社長FさんはKさんと密会する機会が増えると同時に、支社のメンバーにみられる危険を感じ、遠方で待ち合わせをするようになりました。北陸新幹線を使って軽井沢まで行き、そこで会うのです。Kさんと会う回数は急速に増え、二人とも会社には仕事と偽って逢瀬を重ねるように。
その後もFさんがKさんに契約を付け替えることが続き、Kさんは社内表彰制度に入賞するほどでした。その急な変化に支社メンバーの不満は日増しに大きくなり、部下の営業所長数名からも、「支社長の付け替え契約は金融庁の監督指針でも不正行為とされています」と、コンプライアンス違反を正すよう忠言されました。
「そもそも、決算書も読めないKさんがどうやって法人契約の意向を確認したのですか? Kさんが自分の力で法人のニードを把握できたとは思えませんね」と、Kさんの能力にそぐわない契約内容について、営業所長たちは一斉に支社長を批判しはじめます。
しかし口先でごまかすFさん。Fさんは仕事よりも不倫関係に夢中になっていました。「お前ら所長連中が新人を教育できないから俺が代わりに成績を作ってやっているんだろう!」とFさんが声を荒げる場面もありました。
営業所長は冷静に問いただそうとします。
「支社長、正直にいうと、支社長とKさんが不倫しているのではと噂している社員もいます。どうなんですか」
鼻で笑って無視をするFさんでしたが……。
