いつまでも輝く女性に ranune
月60万円稼いだ45歳元パチプロ。「闇スロ」との出会いが“破滅の序章”に… ――仰天ニュース特報

月60万円稼いだ45歳元パチプロ。「闇スロ」との出会いが“破滅の序章”に… ――仰天ニュース特報

◆良好な出玉状況を見て“宮崎移住”を決断


パチスロ
 その後、しばらくは実家の工務店で手伝いをしていたのだが、友人に誘われて行った宮崎で運命が変わるのであった。

「地元のツレが宮崎で働いてて、遊びに行ったんだ。一晩飲んで朝起きて、ツレは仕事に行って、夜までやることがないからパチンコ屋に行ったら、スゲェ出てんの。当時はちょうど4号機から5号機に移行する頃で、4号機の連チャン機は最後っ屁みたいにリリースされまくってて、5号機もいろんな台が出てカオスだった。でも、みんな出玉率、連チャン性の高い4号機を好んで打ってて、5号機の島は明らかに高設定の台がゴロゴロ捨てられてる状況。4号機もちょっと粘ればオイシイゲーム数の台を拾うことができて、ものすごい甘い状況だったワケ。

 結局、ツレの家に1週間泊まり込んで、閉店のゲーム数とかチェックして、翌日は朝から狙い台を絞って打ったら、1週間で20万近く勝ったんだ。こんな甘い状況ならしっかり打てばかなり稼げんじゃないかって思って、その翌週には宮崎で仕事が見つかったって親に言って、“移住”しちゃった」

 こうして、加藤さんはパチプロとしてデビューを果たしたのである。基本的な立ち回りは、閉店間際にゲーム数をチェックして、朝から狙い台を絞って打ち、途中でホール内を徘徊してゲーム数をチェック、オイシイ台を見つけたら打つという、オーソドックスな立ち回りをしていたと振り返る。

◆5号機への移行で思い切ってパチンコにシフト

 加藤さんによれば、当時の宮崎はまさにブルーオーシャン。クギも設定も状況はよく、プロにとってはオイシイ環境だったという。

「宮崎市内の繁華街もまぁまぁ状況はよかったけど、田舎は郊外店が強いんだよ。メインにしてたのは市内から少し離れた大型店。ここを中心に朝から打って、ダメそうなら移動して打てる台を見つけたら打つスタイル。4号機も5号機も関係なしで、この頃は東京時代と違って狙った台で出すことのほうに嬉しさを感じてた。稼働は週4〜5日。週に1〜2日はツレの紹介で知り合った元ラウンジ嬢がやってるスナックみたいな店でバーテンの真似事をしてて、まぁ、完全なロクデナシだよね(笑)。収支なんかつけてなかったけど、バーテンのカネも含めると月に60万円くらいは稼いでたと思う


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