◆「手探りで見つけていく」若手時代の苦悩

高橋:僕はそもそも俳優になろうと思っていない中、芝居もそれぞれの仕事でどう居たら良いか誰も教えてくれる人もなく、いきなり現場に放り出されました。そういう意味では大変でした。すべてに関して手探りで見つけていくしかありませんでしたから。
——歌は、高橋さんの希望だったのでしょうか。
高橋:歌についてはね、もともと家族が音楽をやっていたので(父が作曲家・指揮者、母が声楽家)、そこに進むのは自然なことでした。ただ、自分の周りには、中身に関して相談できる人がほぼいなくて、混沌とした渦の中で全方位的に必死に日々を送っていました(笑)。
——そのなかでいつの間にか俳優業も始まった感じでしょうか。
高橋:そうですね。教えてくれる人も、相談相手もいませんでした。当時の音楽のスタッフは自分がやりたいことを僕に当てはめて形にしようとしている感じで、チームとは言い切れませんでしたね。あるマネージャーには「お前は太ったら価値がない」とも言われましたし、中身のことを相談できる人がいない中でやっていました。
◆少しでも多くの打席に立って「本物になりたい」

高橋:それはひとつのアイテムですよね。はじめはそれだけでもいい。でもビジュアルは変わっていくものですから、中身を育てていかないと。ひとりで「これは大変だぞ」と思っていましたが、どういった道を通ったとしても、自分の中でこうなりたいというイメージを明確に持っていれば、ちゃんと目的地にたどり着けるはずだと思っていました。
——そのイメージとは。
高橋:「本物になりたい」と思っていました。芝居というのは奥が深くて、“いい芝居”とは何かといってもわからない、何が本物かもわからなかったのに。今思えば、その役として生き切るという基本的なことだと思うのですが。でも「本物になりたい」という気持ちは持ち続けようと思っていました。
——そのなかには、「売れる」ということも含まれますか? お芝居もやはり人に見てもらわないと。
高橋:そうですね。まずは、少しでも多くの打席に立ちたいと思いました。僕の場合、子どもの頃に同居していた家族が保証人になって、一夜にしてお金がなくなって路頭に迷った経験もあります。仕事をして稼ぎたいというのは、リベンジ的な気持ちとしても、子どもの頃からどこかにありました。

