市民の安全・安心を支える存在として治安維持に奔走する警察官。そんな質実剛健な警察官の自死を報じるニュースには心が痛む。
「なぜ?」 「なにがあった?」
その重要な手掛かりを赤裸々に明かすのは『警察官のこのこ日記』(三五館シンシャ)の著者で警察官OBの安沼保夫氏。
「強く、正しくなければならない」という“警察官としてあるべき姿”の刷り込み、さらに常に緊張を強いられる環境。そこに絶対服従の組織文化が強力な圧力となり、特にまじめで誠実なタイプの警察官を追い込んでいくのだという。
安沼氏が「洗脳」とも表現する、上からのプレッシャーや実績至上主義の現場。それはまさにブラック企業そのものといえ、一般市民が警察官に抱くイメージとは真逆だ。(本文:安沼保夫)
「お前は向いてない」と心をへし折られても食らいつける者が「なれる」
〈警察は強く、正しくなくてはならない〉
警察に対する世間一般のイメージが時としてプレッシャーとなります。
警察学校では「お前は警察に向いてない」とか「辞めちまえ」などと言われ続け、プライドをへし折られ、それでも食らい付いて行った者が警察官となることができます。
「自信がない」なんて弱音を吐こうものなら、即退職者リストに入り、教官から目をつけられてしまいます。
そこで警察官は「弱音を吐いてはいけない」という固定観念を植え付けられます。
警察学校ではよく「この道」(作詞:川内康範)という定番の警察ソングがよく流れていました。その一節に「われらは選んだ この道を たとえどんなに つらくても 歩いていこうよ この道を」とあるのですが、今思えば巧妙なプロパガンダだと感じます(笑)
それから現場に出て経験と自信を積み上げていくことになるのですが、上手く成果を出す者もいれば、私のようになかなか実績を出せない者もいます。
そして実績至上主義の現場で「実績がなければ価値がない」といった価値観を植え付けられ、「実績がなければ組織に居場所はない」といった言葉が「警察を辞めても民間の会社で通用しない」とともに言われます。
警察学校で「辞めちまえ」と散々脅された挙句、現場でもクビをちらつかせて脅す「ぐるナイ方式」が横行していました。
パワハラで追い込み「辞めたら終わり」という考えを芽生えさせる
そこで「警察官を辞めたら終わり」という考えが芽生えます。典型的なブラック職場の洗脳方法です。
ちなみに、実績がなくても3か月に一本程度のパトロール報告だけでも書いていればクビになることはないそうです。今で言う「静かな退職」もやろうと思えば十分に可能です。
いわゆるゴンゾーという、会社でいう「働かないおじさん」に該当する警官もいます。ゴンゾーも元々はやる気に満ち溢れていたと思いますが、希望の職種に行けなかった、書類のIT化などについていけなかった、などさまざまな理由でそのような末路をたどったものと思われます。
このゴンゾーのような図太い神経の持ち主なら、いくらプレッシャーをかけられても平気だと思いますが、責任感の強い真面目な人ほど、病んでしまうと思います。
もし私がタイムリープして新人警官からやり直すことができるのなら、戦略的ゴンゾーになれる自信がありますが(笑)
若手に対する厳しい実績管理はある程度必要だと思いますが、年配の定年間際の職員にまでこのような仕打ちがされていました。その意味ではゴンゾーになることも一種の防衛策とも思えます。
「勤務表を見るのだけが楽しみ」と漏らした年配職員
警視庁の場合、地域警察官は日勤→夜勤→非番→週休のサイクルで勤務していますが、実績がないと週休に勤務させられたりします。そして代休も自分のタイミングでは取りづらいのが現状です。実績がないと尚更です。
次のサイクルの勤務予定表が配られる時に代休が当てられているのかが確認できます。これは係長である警部補の采配です。
ある年配職員が「毎回勤務予定表を見るのだけが楽しみだよ」と漏らしていました。
私は生殺与奪の権を握られた社畜ならぬ公畜を見た気がして、定年までこの組織にいるのは危険だと感じました。
ちなみに定年まで勤め上げれば2000万円もの退職金が出るそうで(昔はもっと多かったそうです)、皆それだけを楽しみに定年を指折り数えながら仕事を嫌々続けている様子でした。
ある経済学者が、「終身雇用と退職金は現代の奴隷制度」と言っていましたが、そのとおりだと思います。
私はその時点では転職活動はしませんでしたが、大型運転免許などの資格取得に精を出すようになりました。
もともと公務員の安定思考で警察官になったので、逃げ道を作りつつ「そんなもんか」と気楽に続けることにしました。
もし私が正義と使命感に燃えていた若手警察官であったら、絶望していたと思います。
「辞めても働き口がある」がモチベーションに
それから機動隊に異動すると、大型免許を持っていた私は「やる気がある奴」だと勘違いされ、早くから機動隊バスの運転も任されるようになり、その勢いで大型二種免許も取得しました。これでいざとなったらバス運転手の働き口があるという安心感を得て、モチベーションを維持できました。
ちなみに警視庁には第一から第九機動隊及び特科車両隊の計10個隊があり、それぞれにカラーがあります。各機動隊はさらに第一から第四中隊に分かれており、この中隊単位での行動が多くなります。
私のいた中隊は雰囲気が良かったのですが、他中隊では上下関係が厳しいところもあったと聞きます。私は同期や先輩にも恵まれ、機動隊では割と楽しく過ごすことができました。
警視庁には語学講習の制度があるのですが、私は機動隊時代にこれに応募しました。
汎用性の高い英語や北京語が人気なのですが、私はタガログ語(フィリピン語)というマニアックな言語を選びました。希少性で自分の存在価値を高めようという打算からです。
2年間の座学を終え、通訳センターで1年間研修を行うのですが、偽装婚の取調べや入管との合同摘発などに参加し、とても勉強になりました。さらに、捜査員になるための講習にも行かせてもらい、刑事熱が高まっていきました。
機動隊の満期を迎え、異動先希望調査に新宿署などの外国人の扱いが多い所轄を第5希望まで書いたのですが、行きついたのはあまり忙しくない「オアシス」と呼ばれるT署でした。
異動先希望は警察官時代に何度も書きましたが、第1希望はおろか、第5希望まで含めて叶ったことはありません。
それからオアシスなT署に異動して、交番勤務もそこそこに留置係に配属となりました。留置係というのは若手にとっては「内勤への登竜門」とされ、私は刑事課への配属を待っていました。
ところがそこで2年の足止めを食らい、刑事熱も冷めて昇任試験への勉強を頑張ることにしました。そして一次試験を突破したタイミングで刑事課への配属が決まったのです。
ちょうど第2子が生まれたばかりだったのですが、新人刑事として業務が多かったり、飲み会などに半強制参加させられたりと、妻には苦労を掛けてしまいました。
それから刑事課で大した仕事もできないまま、幸か不幸か昇任試験に最終合格し、「刑事経験のある」巡査部長として配置換えとなりました。
例によって異動先希望を書くのですが、多摩地区の忙しい署とされる町田署や八王子署を書いたものの、その中間の閑静なM署に決まりました。これが異動先希望で唯一「かすった」経験です。
M署でも交番勤務をそこそこに留置係に配属となりました。私も「もうずっと留置でいいかな」と思っていました。せっかく身に着けたタガログ語も錆びついていましたので、語学を活かす道も諦めました。
それから刑事課への異動の打診がきたのですが、断りました。前任での刑事課での体育会系な雰囲気を見て、「もう刑事はやめよう」と思ったからです。
当時の留置係の上司は理解してくれましたが、後に刑事課の幹部から「なんで刑事課を断るんだ!」と言われました。やはり刑事課に行かなくてよかったと思いました。
何度もはしごを外され、失われたやる気と熱意
そして留置係の上司の推薦で総務係に配属となりました。これで私のキャリアは刑事から離れることになります。総務は未経験の分野なので最初は不安でしたが、意外と事務処理に向いていると感じました。
その頃に第3子も生まれ、推薦してくれた上司のためにも頑張ろうと思った矢先、本部留置管理課への内示が出ます。
断ることもできたのですが、本部への異動を一度断ると、二度と本部へは行けないという噂もありましたので、受諾することにしました。
そして異動先の本部女子留置でパワハラ上司やお局にやられ、さらにH分室で暴君警部補にやられて退職に至ったのは前回の記事(※)のとおりです。
※警察官の自死、なぜ相次ぐ? 「私も一歩間違えば…」暴君上司の壮絶パワハラで退職、OBが振り返る“組織体質”の闇
こうして私は何度もハシゴを外され、やる気も熱意も失っていきました。私は転職できたからよかったのですが、モヤモヤを抱えながら勤務している警察官も多くいると思います。
もちろん、公務員に異動はつきもので民間企業では全国レベルでの異動もあります。
たとえば、刑事畑でずっと活躍していた人が急に全く関係のない部署に配属され、慣れない部署で上司と部下の板挟みに苦しんでいる人もいました。「上司の方針に従わなかったから報復人事を受けた」という噂も流れました。
また、刑事課などに多いそうですが、昇任して異動した先で部下達から「お手並み拝見」といった感じで試されることもあるそうです。若くて人当たりのいい上司ほど、こうした仕打ちを受けるとか。
なので多くの上司が部下から舐められないために威圧的な態度をとるといったことも多い印象です。これがパワハラ文化の根源とも思えます。
そして警察官という潰しの効かない職業ゆえに、転職者の流出入も少ないので、閉鎖的なガラパゴス組織ができあがっていくのだと思います。
■安沼保夫(やすぬま・やすお)
1981年、神奈川県生まれ。明治大学卒業後、夢や情熱のないまま、なんとなく警視庁に入庁。調布警察署の交番勤務を皮切りに、機動隊、留置係、組織犯罪対策係の刑事などとして勤務。20年に及ぶ警察官生活で実体験した、「警察小説」では描かれない実情と悲哀を、著書につづる。

