いつまでも輝く女性に ranune
福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」

福井から東京へ、母の反対を押し切った決断。僕青・宮腰友里亜「もう弱い自分で泣きたくない」

◆名前を呼ばれる度に込み上げる感情

 公演中に自分のうちわやタオルを見つけて、「友里亜ー!」と名前を呼んでもらうと、「自分はこの場所に居ていいんだ」と言葉にできない感情が込み上げる。そのたびに彼女の優しい笑顔が輝いていた。

宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
 幼少期から漠然とアイドルへの憧れはあったが、その夢を掴んだのは18歳。ダンスも歌も未経験で飛び込んで彼女にとって現実は甘くない。「私なんかアイドルに向いてないし辞めたほうがいい」と、弱い自分が出るたびに葛藤してきた。

「他のメンバーより振り覚えが遅くて、置いていかれるんじゃないかという怖さがいつもありました。そんな私は受け入れてもらえないんじゃないかって。努力は裏でするものだと思っていたので、自宅に帰ってから睡眠時間を削ってもできるまでダンスの練習をしていました」

宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
写真左から山口、青木、宮腰、伊藤、木下
 当時は女性マネージャーにさえ目を合わせられないぐらい人に頼るのも苦手だった。そんな彼女の理解者として傍で寄り添っていたのが、10月末でグループを卒業する山口結杏だ。当連載のなかで雲組メンバーに対する気持ちを聞くなかでも、宮腰へ想いを語っていた。その言葉を伝えると、目に涙を溜めながら何度も頷いた。

「私は相棒みたいな子ができちゃうと依存しちゃうタイプなんです。結杏は同じ歳だから二人でいるときは楽だったし、同じような悩みで苦しんでいました。だから、その頃は毎日のように過ごしていて。一緒に駆け上がってきた彼女が卒業するという選択をしたことは寂しかったけど、これからの人生を心から応援したいです」



◆周囲の支えで誰よりもメンタルが強くなった2年間

 ツラい時間を乗り越えたからこそ、自分が関わる人たちには笑っていてほしい。今では上から下まで幅広く交流できるまでに成長した。「この2年間で誰よりもメンタルが強くなれました。メンバーやスタッフさんと関わるなかで良い方向に自分を導いてもらえています」。また、ポジティブなマインドに大きく影響しているのが、福井にいる家族の存在だ。一日オフがもらえれば、前日の夜に新幹線に飛び乗って帰郷することもある。

宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
「親戚も実家から5分以内の場所に住んでいるので、私が帰ると『ご飯に行くよ』ってみんなが集まってくれるから福井でもアイドル扱いしてもらってます(笑)。東京から電車で3時間20分。実家の周りは田んぼしかないような田舎ですが、家族と過ごす時間は心の拠り所ですね」

 母親は、3歳年上の姉とともに2人の娘を女手一つで育ててくれた。人見知りで内気な性格を知っていたからこそ、アイドルを目指すと伝えたときに「厳しい世界でやっていける強い心が貴方にあるの?」と猛反対。だが当時通っていた歯科衛生士の専門学校を退学して、ひとりで上京を決めた。

宮腰友里亜 僕が見たかった青空 雲組
「昔バレエの習いごとを始めたときに集団行動に馴染めずに、一日で逃げ出したことがあったので心配していたんだと思います。今はすごく応援してくれていて、お姉ちゃんはライブを観るたびに、『カッコいい自慢の妹だよ』って号泣するんですよ(笑)。

お母さんも『ダンスが上手くなった』とか成長できたところを必ず見つけて褒めてくれます。家族の支えがなかったらアイドルは続けられないです」


配信元: 日刊SPA!

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