◆身内すら信用できない監視社会は「現代のディストピア」

西谷:そうなんです。最初の驚きは、現地の人が何もしゃべろうとしないことでした。中国人は非常におしゃべり好きですし、10年前に訪れた時はウイグルの人たちも割とおしゃべりな印象がありました。年配の方はウイグル語しか話せなくても、若者の多くは中国語ができるので、政治的な話は避けたとしても、いろいろな身の上話くらいは聞けるだろうなと考えていました。しかし、予想に反して、私が外国人というだけで雑談にも全く応じてくれず。びっくりしました。
——街には武装警察官があふれ、至る所に監視カメラが張りめぐらされていたようですね。
西谷:はい。身内すら信用できない監視社会になっていたと言わざるを得ません。まるでジョージ・オーウェルの『一九八四』のような状況で、現代にディストピアを作り出すとしたら、こうなるのかと感じました。雑談すらできないほど、人が人を信じられない社会の恐ろしさに心が寒くなりました。現地では過去にテロや暴動が起きているので、中国当局からすれば、そうするしか統治できない状況なのかもしれません。
ウイグルの人たちに対する組織的な虐殺などは起きていないようでしたが、少なくとも大規模な拘束が行われ、漢族との同化政策によって固有の文化が薄まっているのは強く感じました。ギリギリの生存権だけを認めている植民地のような状況でした。それに対し、統治する側の漢族の人たちは、何も問題のないハッピーな世界になったと感じているようで、そのギャップがすさまじかったですね。
◆「自分の家族」の話をしてくれたウイグル女性
——書籍では、西谷さんが現地の人から強制収容所に関する話を何とか聞き出そうとする姿も印象的でした。西谷:かろうじて雑談に応じてくれ、自宅にも入れてくれたウイグル女性が「私の夫も学習するところ(強制収容所)に入れられて、亡くなったんです」とポロっと語った時に、この旅で初めて本当の話を直接聞くことができたと感じました。その女性はごく普通の一般庶民で、政府の批判をするわけでもなく、淡々と自分の家族の話として収容所の話をしてくれました。中国当局は「強制収容所は事実無根」と主張していますが、何らかの事情で大規模な拘束を行っていたことは明らかだと思います。

