◆なぜ東京大学には「教養学部」があるのか
ここで、「教養」を学部名に冠する東京大学教養学部についてみてみましょう。現役東大生ライターの碓氷氏の記事によれば、教養学部では文理を飛び越えた幅広い学びと、それを楽しむ好奇心豊かな人々に出会えるといいます。
私がかつて東大教養学部に在籍していた時にも、私は文科三類から文学部に進学するガチガチの文系学生であったにもかかわらず、興味のある生物系の授業を受講できていました。
むしろ、カリキュラム上、文系学生は理科や数学を、理系学生も人文系の科目を1つも取らずに卒業することは(少なくとも当時は)困難であり、東京大学教養学部は、学生に「枠にとらわれない知識」を身に着けさせる目的を持っていることが読み取れます。
これは、東京大学が、「文系は文系」「理系は理系」と専門分野を絞ることで身に着ける知識の幅が狭まる事態を憂慮し、「文系だから理科は要らない」「理系だから古典は要らない」といったような安直かつ視野の狭い人間を量産しないように、このような教育カリキュラムを敷いているのではないでしょうか。
そこで、東京大学教養学部の便覧を確認すると、「前期課程では特定の専門分野に偏らない総合的な視野を獲得させるリベラル・アーツ教育」を行うものと記されています。
東京大学が「総合的な視点」「多角的な視座」に重きを置いていることがよく読み取れる一文です。
◆あくまで教養は「視座の高さ・広さ」にある
教養というと、「シェイクスピアを何冊読んだ」だの「哲学書を何冊読破した」だの、そういったインスタントな発想を持っている方が多いのかもしれません。だからこそ、誰もが知っている世界的名著を100冊書き連ねて、50文字程度の薄いあらすじを添えるだけで「教養を身に着ける手引き」と胸を張れる人が出てきてしまうのでしょう。
確かに、そういった本を100冊並べられて、中身について述べられる人は、様々な知識を持っているでしょうし、教養人なのかもしれません。
ですが、それらをすべて読破しても、恐らく教養は身につかない。
重要なのは、日々目にしたこと、耳にしたことを自分の中の知識と体系付けながら吸収すること。自分だけの知の大樹を育て上げ、ゆくゆくは大森林の広がりを持たせる努力が必要です。
知識単体には意味がなく、それをどのように分析し、活用するのかが大切です。知識フリークになる前に、もう一度思いなおしてみるといいのかもしれません。
<文/布施川天馬>
【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)

