「野中広務の秘書」を30年間務めた男が振り返る「全日空ハイジャック事件」での“覚悟”。村山元総理と「強行突入が失敗したケース」を想定していた

「野中広務の秘書」を30年間務めた男が振り返る「全日空ハイジャック事件」での“覚悟”。村山元総理と「強行突入が失敗したケース」を想定していた

◆「全日空ハイジャック事件」で“覚悟”を見た

山田大智さん
2003年には「毒まんじゅう」で新語・流行語大賞を受賞した
――野中さんが大臣を務めた村山政権時代は、阪神・淡路大震災、オウム真理教事件、全日空ハイジャック事件など、大きな事件が立て続けに起こりました。2025年10月17日に村山富市元総理が逝去されましたが、当時、国家公安委員長としてどのような動きをされていましたか?

山田大智:野中先生が大臣になるタイミングで、色々なことが起こるという印象があります。1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、村山先生ともやり取りをしていましたし、オウム真理教事件も、国家公安委員長として担当していました。

中でも、村山先生と野中先生が「すごい決断をしたな」と思ったのは、全日空ハイジャック事件です。羽田から飛び立って函館の空港に降りた全日空機に対し、警視庁の部隊が「強行突入」をすることになったのですが、ハイジャック犯がサリンを持っているかもしれないという情報がありました。

夜中の2時か3時頃、「野中公安委員長と亀井運輸大臣が官邸に入った」と聞き、私は「もう強行突入するな」と思ったんですね。実は、村山先生とは、もし強行突入が失敗し、死亡者などが出た場合、「総理も議員も辞めて、遺族のところに巡礼するように回ろう」 ということを二人で話し合っていたとのことです。のちに聞かされました。

◆飾らない人物だった村山元総理

――村山さんはどのような方でしたか?

山田大智:ものすごく庶民的でした。総理になられた時、スーツを4着しか持っていなかったという話がありましたが、私も当時手持ちが2~3着だったので、「私とそんなに変わらないな」と思ったのを覚えています(笑)。

また、訪朝団に同行した際、村山先生の部屋にお邪魔したら、「ステテコ姿」 で出てこられたんですね。空調が暑すぎてどうにもならなかったそうで、「元首相がこういう格好されてるのか」 と思いました。

野中先生と村山先生は同世代で、村山先生は1924年3月3日生まれ、野中先生は1925年10月20日生まれです。どちらも地方議員から成り上がった「叩き上げ」 の議員でした。議論で対立することはほとんどなく、話し合いでお互いに合意点を見つける状況でした。


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