◆運営介入という「自己否定」
確かに、大事になる前に運営が介入できるシステムを作るべきだという意見もあります。しかし、そんなことをすれば、それはもはや『BreakingDown』とは呼べないでしょう。
なぜなら、人が死んでしまうかもしれないという可能性を煽り続けて、その状態を全会一致で黙認することが、人気の要因だったからです。
◆『BreakingDown』の終わりはすぐそこ?
ただし、過激な可能性は大きくなればなるほど具体的な結末にならざるを得ません、それは現実の死です。くも膜下出血という出来事は、それが限りなく100%に近付いたことを意味しています。つまり、今回の一件は『BreakingDown』の終わりがすぐそこにやって来ていることも示しているのです。
ヤバいという可能性の余白がなくなった時点で原動力を失うコンテンツ。
『BreakingDowm』は、最初から短命を宿命づけられていたのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4

