
かつてワンマン社長の放漫経営により、事実上の倒産に追い込まれたヘルメットメーカー「SHOEI」。しかし現在、同社は従業員わずか635人で世界シェアの6割を握る、超高収益企業へと変貌を遂げている。借金地獄から無借金経営へ。田宮寛之氏の著書『日本人が知らない!! 世界シェアNo.1のすごい日本企業』(プレジデント社)より、そんな復活劇の舞台裏と、「ヘルメットの常識を覆すヘルメット」の機能に迫る。
高級ヘルメット市場で世界シェア60%を誇る「SHOEI〈7839〉」
会社データ
・本社……東京都台東区
・売上高……357億円
・純利益……73億円
・資本金……14億円
・創業年……1954年
・従業員数……635人
・上場市場……東証プライム
(業績は2024年9月期)
世界のバイク用高級ヘルメット市場で6割のシェアを占めるSHOEIは、米国、欧州など世界60カ国以上に販売網を展開している。欧州やタイ、中国に販売子会社を持つが、生産はクオリティーを重視して国内の2工場(茨城、岩手)のみで行う。
世界トップクラスのレーシングライダーから強く支持されていて、ロードレース世界選手権(MotoGP)で実績のあるマルク・マルケス、アレックス・マルケス兄弟とは2010年から契約を継続中だ。
顔全体を覆うフルフェイスヘルメットをはじめ、あごの部分が空いたジェットヘルメット、オフロードレース用、自転車用などさまざまなタイプのヘルメットをそろえている。ヘルメットの硬い外殻はシェルと呼ばれ、転倒などによる衝撃を分散・吸収する役割を果たす。SHOEIのヘルメットのシェルは軽量で強度の高いFRP(繊維強化プラスチック)で製造されている。
検査で年間約3000個廃棄…高シェアの背景にある“厳しい目”
SHOEIのシェアが高い理由は、なんといってもクオリティーの高さだ。SHOEIはヘルメットメーカーとしては珍しく大型風洞実験施設を持つ。そこでは最大で時速230キロメートルの風力実験が可能で、さまざまな実験が行われている。
また、製造後のチェックも厳しく、完成品の抜き取り検査で年間約3000個ものヘルメットを廃棄しているほどだ。
ヘルメット製造のきっかけは「旅館経営」
創業者の鎌田栄太郎が、1954年にポリエステル加工メーカーとして鎌田ポリエステルを創業。1959年に法人化して昭栄化工株式会社を設立し、一般作業用のヘルメット生産に着手した。バイク用ヘルメット製造に乗り出したのは1960年のこと。
当時、鎌田は新橋で旅館も経営していたが、出張などでこの旅館を利用していたホンダの社員から、外国製ヘルメットに対する不満を聞いたことがきっかけでバイク用ヘルメットを製造するようになった。1963年には、早くも最初のレース用ヘルメット「SR‐1」を世に出す。
ヘルメットの売上が増加したのは、1972年に道路交通法が改正されて、自動二輪車の運転でヘルメット着用が義務づけられてからだ。
1980年代から1990年代初めまで、SHOEIは多くの有名ライダーとスポンサー契約を結び、彼らをサポートしていた。また、当時は空前のF1ブームでもあり、SHOEIは四輪用ヘルメットも開発し、アラン・プロストやアイルトン・セナ、ジャン・アレジ、ミハエル・シューマッハ、鈴木亜久里などの四輪トップドライバーとも次々と契約を結んだ。
ライダーたちの活躍もあって絶好調に見えたSHOEIだったが、じつは危機的な状況を迎えていた……。
