
「富裕層」といえば、高級住宅街に住み、高級車を乗り回す姿をイメージする人が多いでしょう。しかし現実には、驚くほど質素な服を着て、周囲に決してお金持ちだと悟られないように暮らす資産家たちが一定数存在します。彼らはなぜ、巨額の富を持ちながら、あえて「ひっそりとした生活」を選ぶのでしょうか。FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が山本清一さん(仮名)の事例を通じて、お金と幸せの距離感について考えます。※本記事は実話をベースに構成していますが、プライバシー保護のため、個人名や団体名、具体的な状況の一部を変更しています。
「アロハシャツの半額老人」…誰も知らない資産家の素顔
山本清一さん(仮名/72歳)は、地方都市の静かな集落で一人暮らしをしています。住まいは、空き家バンクでみつけた築50年の一軒家。壁の塗り替えや床の修繕も業者には頼まず、ホームセンターで材料を買い揃えて自らリフォームしました。そこを終の棲家として淡々と老後の日々を送っています。
一見すると、年金暮らしでお金に困っている高齢者のようにもみえますが、実態は大きく異なるようで……。
清一さんの一日のハイライトは、夕方、近所のスーパーで弁当が半額になる時間帯に訪れること。真夏はヨレたアロハシャツに麦わら帽子、サンダル姿が定番で、店員からもすっかり顔を覚えられています。白髪の長めの髪に、少し日焼けした肌。身なりに清潔感はあるものの、買い物かごに入れるのはいつも半額シールの商品ばかり。店員のあいだでは、「あのおじいちゃん、なにをしていた人なんだろう?」と噂されるほど、謎めいた存在です。
そんな清一さんの極端な倹約ぶりは、食費だけにとどまりません。
彼には持病があり、自宅から5キロ離れた病院へ毎日通院しなければならないのですが、決してバスやタクシーを使おうとしないのです。体調が万全でない日も、雨の日も風の日も、片道90分以上かけて徒歩で通います。「健康のため」と周囲には笑って話しますが、その本音は「数百円の交通費すらも切り詰めたい」という執念に近いものでした。
毎日顔を出す病院の待合室は、清一さんにとってささやかな社交場でもありました。「今日はまた一段と寒いねえ」「あそこの畑の大根は出来がいいらしいよ」 顔なじみの患者たちと、笑顔で他愛もないおしゃべりに花を咲かせます。
また、地域の夏祭りやイベントにも顔を出し、誰とでも笑顔で会話をする社交性も持ち合わせていました。しかし、その一方で、深い人間関係をつくることは決してありません。仲の良い友人もいない、家族もいない、連絡先を交換しても連絡することはほとんどない。
「表では明るいのに、どこか心の扉を閉ざしている」そう評されるような雰囲気が、常に漂っていたのです。
謎のおじいさんの過去
実は、現在の清一さんの総資産は5億円を優に超えています。しかし、そのことを知る人は、近所には一人もいません。
清一さんの実家はもともと農家で、地元に広い田んぼや畑を所有していました。清一さんが30代のころ、国道建設に伴い、農地の大部分が買収されることになり、一家は莫大な買収金を手にしました。その後、父から遺産を相続した清一さんも、50歳ごろには一生困らない額の資産を持つに至りました。
ところが、この巨額の富こそが、清一さんが一生孤独でいることのきっかけとなってしまったのです。
金の匂いを嗅ぎつけた人々
「山本家に大金が入った」という噂はあっという間に広がり、その瞬間から周囲の態度はガラッと変わりました。
親戚からは「少しでいいから貸してほしい」と次々に頼みごとが舞い込み、何年も音信不通だった地元の銀行に勤務した同級生からは、突然電話がかかってくるように。なかには、「金があるんだろ? ちょっとくらいいいだろ」と露骨にいってくる人まで……。
最初は善意で数百万円を貸していましたが、貸した相手は連絡を絶ち、保証人になった別の友人は返済不能となり、清一さんが肩代わりする羽目に。
極めつけは、妻の豹変でした。父から遺産を受け取ったあと、生活費の管理を任せていた妻の金遣いが急に荒くなったのです。お金の使い方を注意するとケンカになり、身の丈に合わない支出を止めることができず、結果として離婚に至りました。
妻と暮らしていたマンションを手離し、誰も自分を知らない少し離れた集落の空き家を購入した清一さんは、人と深く関わることをやめてしまいました。表面上は明るく振る舞い、初対面の人とも気さくに話しますが、心の奥には誰も入れない壁をつくったのです。
清一さんにとって資産は、幸せの象徴ではなく、人間関係を壊し、自分を孤独へ追いやった元凶となってしまいました。金持ちと悟られぬよう派手な生活を避け、ムダを嫌い、毎日半額弁当を買い続ける――。それが、彼なりの処世術だったのです。
