◆遅れてきたトラメガ、そしてサイン会
耳ティッシュ君が消えていった方向から、黒い大きなカバンをかついだ男性が歩いてきた。ヘイトスピーチ街宣などに参加している、ジンと名乗るレイシストのおっさんだ。「なんか見知った配信者が逃げていったから、誰かに追われてるのか?って聞いたら、『怖い人に追われてる』と言ってそのまま行っちゃったよ。怖い人ってお前ら(カウンター)のことか」
「ジンさん、いまから駅前に行っても、もう誰もいないよ」
「えっ? なんだよ! トラメガ持って、競馬行かないで来たのに!」
一般に告知していた街宣をやらずに解散すれば、当然、遅れて到着する仲間は見捨てられる。せっかくのトラメガも置いてけぼりだ。
その後、街宣集団が新橋に移動したかもしれないという未確認情報を受け、一行はいちおう新橋に。別途、ジンさんも来ていた。しかし駅前に街宣の集団はいない。
カウンターの1人が、発売中の『陰謀論と排外主義』を手に、共著者の1人である記者に声をかけてきた。
「サインもらっていいですか」
「そりゃもう、喜んで!」
「ジンさんもサインちょうだい」
「やめとけよ!」
ほかのカウンターたちも何人か、『陰謀論と排外主義』持参。私以外の執筆陣であるウォッチャー勢もその場にいたことから、期せずして執筆陣がこぞってサインを求められるという事態になった。。
あまりにあっけなく街宣を阻止できてしまい、カウンターも拍子抜けのようだ。「勝利宣言を」とコメントを求めると、
「勝利宣言というか、そもそも我々は戦ったのだろうか。それすらおぼつかない」
三浦春馬勢の陰謀論運動の新展開を見ることが叶わなかったウォッチャー勢も、がっかりしているかと思いきや上機嫌だ。
「排外主義街宣をここまで完全に阻止するところを見たのは初めて。いいものを見せてもらった。感激した」
◆モスク前での豚肉歩き食いも阻止
参政党が「日本人ファースト」を掲げて14議席を獲得した7月の参院選以降、8月末の反JICA(国際協力機構)デモや東京都の「エジプト合意」への抗議街宣と通じて、イスラム教徒へのヘイトが露骨になっていった。
その直後の10月10日には、国会議事堂前での「日本政府解体デモ(街宣)」。ここでスピーチの先頭を切ったのは、ゲーム「ウマ娘」のキャラクターのフィギュアを手にした男性だ。
「俺はオタクだ。秋葉原や御徒町にモスクができたら、イスラムの連中が気軽に秋葉原に来ちまう。そして真っ先にメイドさんがレイプされたりお店が破壊される。俺はこの子と共に戦う!」
11月3日には、都庁前での抗議活動参加者が数人で、御徒町のモスク建設現場前で豚肉(イスラム教徒にとっての禁忌)を歩き食いするという嫌がらせのオフ会を開催しようとした。こちらにも3人ほどカウンターが現れ、通報で駆けつけた警察官の仲裁で、モスク前の歩き食いは中止に。一行は、近くのアメ横を散策するにとどまった。
◆排外主義運動はしょぼかろうと侮れない

しかし、このしょぼさを見ても、全く安心できない。こんな「素人」たちがデモや街宣を主催し政治運動デビューを果たしている点は、排外主義の裾野の広さと見ることもできる。クオリティが低くても当人たちがやりがいを感じてしまえば継続してしまうし、場数を踏めば素人でもある程度は成長してしまう。しょぼくても「地道」さは厄介だ。
イスラム教徒をターゲットとした排外主義運動はすでに、路上でのデモなどにとどまらない展開も見せている。神奈川県藤沢市では、モスク建設に反対する請願などが市議会に大量提出された(市議会は多くを不採択等にしている)。
しょぼい活動は飽くまでも、彼らが「当たり」を求めて試行錯誤している過程にすぎない。いつどの地域で、どんなテーマで、火がついてもおかしくないのではないか。
この原稿を書いている最中に、年明け1月11日に国会議事堂前で予定されている次回「日本政府解体デモ」の告知が行われた。告知画像には、「移民政策反対」「モスク建設反対」の文字。日の丸を手にした鎧武者の後ろ姿のイラスト。その視線の先で、モスクが激しく燃え上がっている。もはやヘイトクライムを煽る「犬笛」ではないか。
主催者にその自覚はないのかもしれないが、能力の低い素人だからこそ、こんなことまで平気でやってのける。むしろしょぼい段階で排外主義には明確にNOを突きつけないと、いつか取り返しのつかないヘイトクライムに発展しかねないのだ。
<取材・文・撮影/藤倉善郎>
【藤倉善郎】
ふじくらよしろう●やや日刊カルト新聞総裁兼刑事被告人 Twitter ID:@daily_cult4。1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)

