◆虐待から逃げるように非行に走った中学生時代
父親は、橋本さんが小学校2年生のときに再婚した。1年ほど生活をしたのち、今度は継母の虐待を受けることに。「あとから聞いた話では、あまりにも懐かない私に業を煮やして虐待をしたということでした。真冬に裸で外に出されたり、熱したアイロンを肌に押し当てられるなどしました。現在でも痕が残っています。『死ね』『消えろ』『なんで生きてるんだ』という言葉による暴力や、食事を食べさせないなどのネグレクトもみられるようになりました」
自宅に居場所はない。中学生になると、橋本さんは補導されるほど非行に走った。
「中学校に行かず、窃盗で得たものを売ったお金で食べ物を購入していたんです。食べるための非行だったような気がします。中学生になると暴力から逃げることを覚えるので、最初は公衆トイレなどで寝泊まりをしていました。そのうち、当時はたくさんあったボウリング場が深夜2時くらいまで開いていることに目をつけて、閉店ギリギリまでいました。その後は、コインランドリーが温かいことに気づいて、そこで夜を明かす生活をしていました。ただ、ときには補導されたのち、児童養護施設に一時保護をされることもありました」
◆自分が親になって、当時の父親の心境が知りたかった
中学ではほとんど家にも学校にも顔を出さず、高校は全寮制高校へ進学。その高校は大企業の育成校の側面があったので、流れるように就職した。父とは顔を合わせない日々が続いた。結婚を経て、自身に子どもができたタイミングで、橋本さんは父親に会うことを思いつく。「最後にあったのは就職後に身元保証人になってもらうためにお願いしたときでした。そのときに大喧嘩になったため、一切会わずにいました。しかし誕生日になると必ず電話がかかってきたんです。すべて無視をしていましたが、自分に子どもができたタイミングで、父親がどう思っていたのかを聞きたくて、会うことにしたんです」

「久しぶりに会った父は、もう子どものときに感じた“巨人”ではありませんでした。『よく会ってくれた』と泣く父は小さく見えました。面会は長い時間だったので、さまざまな話ができました。弟のことに話が及んだとき、『隆の事故は残念だった』と父は言いました。私が『事故じゃないのはわかっている』と伝えると、下を向いてそれ以上何も言いませんでした」

