◆「父の生い立ち」を聞いて訪れた心境の変化
弟を殺したことを決して許さないと言う橋本さん。一方で、心境の変化もあった。「父の生い立ちをはじめて聞きました。父は体育大学へ通い、体育教師になりたいという夢があったようです。しかし長男が亡くなったことで、大学を中退して家業を継がされることになったというのです。しかも、親が決めた女性と強制的に結婚をさせられ、けれども奥さんに子どもができないことを知った父の両親は、すぐに2人を離婚させたというのです。父もまた、思うように生きることができず、しかしそのなかで仕事を成功させていたこともわかりました。自分も子どもを持った今、父が囚われていたしがらみの正体もわかるような気がして、私がされてきたことは許せるようになりました」
とはいえ不可解なのは、子どもを“事故”で亡くせば通常は行われるであろう供養が一切行われていないことだ。
「我が家では、『隆の何周忌』といったお墓参りをしたことがありませんでした。父は2019年に他界しましたが、遺品整理の際に弟を預けたお寺の電話番号を知りました。連絡を取ってみると、そのお寺では遺骨を一定期間預かってくれて、その間に無縁仏にするかお墓を建てるかを決めさせてくれるという制度を採用しているのだそうです。当然、その期間はとうに過ぎていましたが、隆の遺骨はまだ保存してくれていました」
◆自らの使命をまっとうしていきたい

「母は『謝っても謝りきれない』とずっと泣いていました。隆のことも、自分が殺したようなものだと言っていました。母は裁判所からの命令もあって私たちに大っぴらに近づけなかったため、陰ながら保育園に行く私たちを見ていたようです。隆のことが、母の心にも影を落としていたんだなと思います」
これだけの経験をしてなお、“日本一明るい虐待サバイバー”を名乗るのか。
「日本一明るいというのは、テンションが高いという意味ではありません。自らの経験が社会の役に立つなら、喜んで話すという意味です。それが、隆から命を繋いだ私の使命だとも思うので。今はワークショップや講演会などをしながら、虐待をしてしまう親を減らすためにどうしたらいいか、考えるための活動をしています」
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どんなに言葉を尽くしても、忌まわしい過去は消えない。だが父親と同じだけのしがらみを纏ったとき、橋本さんは少し自らの過去を成仏させた。決して消えない弟の名を刻んで、橋本さんは虐待についてみえた実情を世の中に叫び続ける。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

