港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:40歳で知った恋愛の喜び、そして別れの絶望。女が隠しきれなかった想いとは
映画やドラマの監督・門倉崇(妻は、脚本家の門倉キョウコ)
― 妻が愛した男と仕事するなんてな。
映画やドラマの監督・門倉崇は、時代劇の打ち合わせで訪れた京都の撮影所で、ランチ休憩中に届いたメールを眺めていた。自分で選んだはずなのに、いざ現実が動き出すと、胸の奥にわずかな苦みを感じる。
『先ほど門倉キョウコ先生からご連絡いただきまして、脚本コラボの件、決定いたしました。奥様(と仕事のメールでお呼びするのは失礼かとも思いましたが、今回は敢えてご了承ください)に、崇監督に撮って頂くこともご了承いただきましたので、監督にもお受けいただけるということで、宜しいでしょうか』
映画プロデューサーの宮本からのメールに、もちろん受けさせて頂きます、と、携帯で返信を打ち込みながら、崇は世にも美しい男の顔を思い浮かべる。
友坂大輝。妻・キョウコが愛したのは、数々の美男美女と仕事をしてきた崇でも、思わず息をのむほどの美貌の男だった。
しかも調べてみると、どうやら日本有数の名家の息子。ルックスも家柄も学歴も持ち合わせた上に、脚本家としてもまだまだ粗削りとはいえ、オッと思わせる才能のきらめきが、業界でも評判になっている。
神か仏かはたまた宇宙か。この世を超越する何かに愛されて生れ落ちた様なハイスペックの極みで、確かに世間的には圧倒的優良物件だろう。けれど。
― そんな男に、キョウちゃんが心を奪われるとは。
ドラマや映画のキャラクターとして描くならば、大輝のプロフィールは出来過ぎていて面白味がなく、恋愛ドラマなら2番手キャラにしかなれないというか、全てを兼ね備えている理想の王子様なのに、最終的にはヒロインにフラれる役回りだろう。
撮影所の食堂の日替わりランチの中から、崇は焼き魚定食を選んでいた。豆腐とネギの味噌汁に、ホウレンソウのお浸し。そして食堂のおばあさんが、監督には大きいのをあげなきゃね、とつやつやとはちきれそうなものを選んでくれた、塩サバ。その身をほぐして口に運びながら、友坂大輝という男は、きっと魚の食べ方も美しいのだろうなと思ってしまった。そんな自分を、我ながら気持ち悪いなと崇は心で苦笑いする。
キョウコに、好きな人ができたから離婚して欲しいと言われたのが何時のことだったのか…ショックが大きすぎたせいか、崇は正確には覚えていない。
何度問い詰めてもキョウコはその名を言うことをしなかったので、その“好きな人”が大輝だということ、そして経歴や人となりも、崇が興信所に依頼し知ったことだ。
— ただルックスがいいだけの…浅い男なら良かったのに。
それならば、全てに恵まれたお坊ちゃまのお戯れに、キョウコの純真が翻弄され、一時の熱に浮かされているだけだと…いつか自分の元にもどってくるだろうと、大人の余裕を見せることだって、たぶん、できたはずなのに。
先日――映画協会のパーティーで話しかけたときの、大輝とのやり取りを思い出すたびに、崇の胸は、何度でもジリっと焦げるのだ。
会場にキョウコと大輝が参加しているということは知っていて出かけたが、タイミングよくというべきか、崇が到着した時にはキョウコの姿はなかったが、女性たちで人だかりができていたその中心で、にこやかにほほ笑む大輝を見つけた。
崇が近づいていくと、取り巻いていた女性たちが遠慮したかのように散らばっていき、崇と大輝は2人きりになった。
「友坂くんとは、一度仕事でご一緒したいとこのところずっと思っていたんだ。友坂くんの脚本や作る世界観が新鮮で面白いって、最近、いろんな人から聞くからさ。あ、もちろん、妻からも」
さりげなくキョウコの名前を混ぜて、崇がそう言った瞬間、まるで突然日が差し込んできたかのように、パアっと表情をほころばせた大輝が、光栄すぎます、と頭を下げてから続けた。
「尊敬する門倉監督にそう言っていただける日が来るなんて…今、本当に報われた気持ちになりました。監督から学ばせて頂きたいことが沢山あるので、是非、作品でご一緒できたら、とても嬉しいです」
崇は戸惑った。真っすぐで淀みのない言葉を投げられ、少年のように屈託のない笑みを向けられているはずなのに。
— なんだ、コイツ。
全身をゾクッとしたものが走り抜け、崇は、それが恐怖に近い感覚であることに驚いた。
— なぜ、凄みを感じる…?
それは、これまでの仕事で、国の要人や犯罪者まで…ありとあらゆる人に対峙し取材をしてきた中でも体験したことのない感覚で。崇は…この美しい男が、ただのハイスペックなお坊ちゃまではないことを本能的に悟り――面白い、とさえ思ってしまったのだ。
― 我ながら、悪趣味だな。
改めてそう思ったとき、またメールが着信した。
「門倉夫婦が描く、純愛かつ大人のラブストーリーだなんて、それだけで配信元もスポンサーも大喜びです。ありがとうございます!!」
業界きってのパワーカップルだと言われる崇とキョウコの夫婦関係が、既に破綻寸前だとは思ってもいないプロデューサーの宮本の無邪気な興奮が、無機質なはずの文面からもあふれ出している。
― 本当のことを知らせた方が…スキャンダラスで話題になりそうだけどな。
思わず自虐的な笑みを浮かべてしまった。なぜ、自分は…妻とその愛人とも言うべき男が書くラブストーリーを撮ることに挑もうとするのだろう。その理由を、崇はうまく言語化できないままだ。
妻が恋した男がいると知った時、まず胸が焦げた。そしてそれが才能のある脚本家だと知った時、こみ上げたのは興味。さらに、その男の底知れなさを知ると、その男が書きあげる物語はきっと面白いものになるだろうと確信した。
崇にとって今も唯一無二に愛する妻と、その妻が恋した男が、ラブレターのように言葉を交換して出来上がるのであろう脚本を、今にも捨てられそうな夫である自分が映像化するなんて。嫉妬に身を焼かれることになるのだろうと予測しながらも、その苦しみの中だからこそ生まれる新しい表現への興味と、他人にこの作品を撮られたくないという欲の方が強かった。
崇は小さく溜息をつくと携帯のメール画面を閉じ、綺麗に食べ終えた焼き魚定食のトレーを片付けると、撮影所の食堂を出た。
衣装合わせの時間まで、あと20分あることを確認して喫煙所に向かう。キョウコと出会って以来、彼女が苦手だというのできっぱりとやめていたタバコを、キョウコに好きな人ができたと切り出されたときに、なぜか再開してしまった。
― 我ながら、矛盾の極み、だな。
自分の不倫騒動から始まった別居。一夜の過ちの相手…長坂美里への償いの気持ちはあっても、愛したことは一度もない。だからこそキョウコに許しを乞い続け、共に暮らす日々が戻ることを何より願っているくせに、彼女が嫌がるものを始めてしまうなんて。
◆
「あ、監督、お疲れさまです!」
先にいた2人の女性の挨拶に迎えられながら、ガラスで区切られた喫煙室に入る。2人とも今回、崇が撮る時代劇の美術スタッフだが、過去に何度も仕事を共にしている顔なじみで、親しい間柄と呼べるだろう。
喫煙室には3人だけだった。彼女たちと少しだけ距離をとり、崇がタバコに火をつけると「そうだ、監督ってこの手の話に詳しいんじゃない?」と、確か少しだけ先輩だったはずの女性が切りだした。
「何の話?」
崇が聞くと、顔を曇らせながら、先輩は続けた。
「監督って以前、ストーカーをテーマにした映画を撮られていましたよね?実は今、この子の彼氏が、ヤバい感じで」
この子と指された後輩の女性は、「そんな話を監督にするのは申し訳ないです…」と、困り顔になったけれど、崇が大丈夫だと促すと、ポツリポツリと話し始めた。
女性の話によると、半年ほど付き合った恋人の束縛がどんどん強くなり、1ヶ月程前から、仕事の出張だと伝えても、「新しい男との旅行じゃないのか?」と、しつこく疑ってくるようになったのだという。
「なっちゃん、監督に、携帯見てもらいなよ」
なっちゃん、と呼ばれた後輩が、おずおずと携帯画面を崇に差し出した。そのホーム画面には、不在着信が無数に、そして未読のLINE通知が252件と記されていた。
「何度、仕事中だと説明してもお構いなしで鳴るんです。仕事中なら仕事してる写真を送れとか、ビデオ通話を繋げとか…そんなの無理だから、サイレントにしてるんですけど、ほらまた…」
ホーム画面に、サイレントのまま、カズくんという表記で着信が入った。確かこの女性が所属する美術部の大道具チームは、1週間前に東京から京都入りし、建て込みと言われる作業に入っていたはずだ。
「彼は普通のサラリーマンなので、最初は私たちみたいに、映画のセットを作るために1ヶ月も地方に出張に行く感覚が分からないから心配してくれてるのかなって思って…割とマメに返事を返してたんです。でも…」
口ごもった後輩の代わりに、とばかりに先輩が続けた。
「1日中、どこにいるの?何をしているの?って聞かれ続けたら、面倒くさくもなりますよね。この子が連絡を返す頻度が落ちたら、その男、豹変しちゃって。着信はさらに増えたし、モラハラ男に大変身ですよ」
「モラハラって…具体的には?」
崇の問いに、先輩は嫌悪感を露わに顔を歪め、大きなため息をついた。
「さっきなっちゃんが、普通のサラリーマンだって言いましたけど、その男って大手の外資金融系のコンサルマン、ってやつで、自分のスペック自慢というか、プライドが無駄に高いんですよね。
で、なっちゃんに対して、お前は三流大学出身のバカで、オレは高学歴の社会的成功者なんだから、オレがお前を指導してやる、黙って従え、とか、何の才能もないお前と付き合ってやってるんだから、報告の義務さえ守れないお前は、大人として失格だ、とかブチギレるんですよ。
かと思えば、言い過ぎたごめん、優しくするから捨てないでって泣き始めることもあったり」
「それは…物騒だね。今すぐ、警察に相談した方がいいんじゃないかな」
ほらぁ~私も言ってるでしょ!と先輩が崇に同調すると、後輩がうな垂れながら言った。
「でも、彼って出会った頃は…元々は物静かで真面目な人で…今の彼はきっと、仕事のストレスが凄くてどうにかしちゃってるだけで、また元の優しい彼に戻ってくれると思うんです。言い過ぎたら謝ってくれてますし…その…」
言い淀んだ“なっちゃん”の後ろめたさを感じつつ、崇は言葉を選びながらも、伝えることにした。
「元々の彼に戻ってくれるって言ったけど、彼の本来の姿は、今の彼の方だと思うよ。独占欲や執着…あなたを支配したいという欲は彼の中に元々あったもの。今までは隠してきたそれらが、あなたの不在か…何かが、トリガーになって引き出されてしまった。
ストーカー行為の始まりなんじゃないかな」
崇は、犯罪者に執着され、ストーカー被害に苦しめられた女性刑事の闘いをドラマ化したことがあった。そのドラマは実際に起こった事件を基にしたものだったので、その被害女性や専門家、そして服役中のストーカー本人に会い取材を重ねて、脚本を作っていったのだが。
そしてそのストーカーが女性刑事に執着し始めたきっかけは、別事件で警察に保護された時、彼女が、亡くなった自分の母親と同じ言葉で自分を心配してくれたことで、その後、もう叶うことのない最愛の母への執着を、女性刑事に向けていったのだということが分かった。
その執着は、女性刑事に拒まれれば拒まれるほど、支配欲へと膨れ上がり、女性刑事の結婚式をめちゃくちゃにして、その命を奪う直前で逮捕されることになったのだが、逮捕された彼は、女性刑事にこう言ったのだという。
「あなたのせいだよ。あなたが僕を目覚めさせたんだから。僕をめちゃくちゃにした責任を取るべきだろう?」
自身でも気づいていなかった、心の奥底に隠されていた欲望や飢餓感。それを目覚めさせたのが女性刑事の言葉なのだから自分の方が被害者なのだと、ストーカー男性は一度も悪びれることなく、言い張ったというのだ。
「今はまだ、あなたの恋人はストーキングとまでは言えないかもしれないし、彼の行動を自分のせいだと思う必要はないよ。でも彼が自分の感情や行動をコントロールできなくなってからでは遅いんだ。一度暴走を始めた執着を自分自身で抑えることは、不可能に近いと思うから」
かといって今すぐ別れを切り出すのも、激高される可能性を考えると得策だとは思えない。崇にはドラマの取材で知り合った刑事が何人かいた。その中でも信頼できる1人を紹介するから対策を相談してみたら、と刑事の連絡先を女性たちに伝えた。
― 無事に…その男から離れられればいいけど。
そう願いながら、喫煙所を後にした崇は…まさか自分も。知りたくもなかった“欲望や飢餓感”に目覚め、狂い、もがき…キョウコと大輝を巻き込んでいくことになるなんて。そんな未来が近づいていることを、もちろん、予想することなどできなかった。
▶前回:40歳で知った恋愛の喜び、そして別れの絶望。女が隠しきれなかった想いとは
▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
▶NEXT:12月23日 火曜更新予定
12月16日は連載がお休みです。

