◆右手に残っていた「奇跡の2cm」の親指

久世さん:1年半ぐらいは義足との相性を合わせるのが大変で、昨日はよかったけど今日は全然歩けない、みたいな日もありました。
今は家事も外出も何でもできます。ディズニーシーにも義足で行きました!ただ、髪の毛を結ぶのはやってもらってますし、洋服の小さいボタンは難しいので、自分で着られるものを選んでいます。
――指をすべて切断されたのにもかかわらず、なぜ何でもできるのですか?
久世さん:右手だけ「奇跡の2cm」の親指が残っているんです。だから、ペンを握ったりフォークとか持ったり、メイクも料理もできます。運転はアクセルとブレーキを手で操作できる車両に乗っています。
ただ、私左利きなのでめちゃめちゃ練習しました。神様はいたずら好きですね。でも、この親指部分がなかったら、もっと人生に苦労したと思います。
◆いろいろな頑張り方があると伝えたい

久世さん:そうです。もともとやっていたわけでもなければ、病気前は普通の主婦で、夫の会社で事務仕事をしていました。
――義足をはめて42.195kmを完走するのは、並大抵の努力ではできないことだと思います。
久世さん:私、マラソンを42.195km完走するまでに3回かかっていまして。初めは22km、次は30kmと少しずつゴールを目指しました。
コーチを付けたことはありません。タイムを競いたいわけではなく、自分との約束を守りたかっただけだからです。
でも、人ってマラソンと聞くと、評価するじゃないですか。
――たとえば、どんなことですか?
久世さん:「42km完走するの?」とか「何時間で走るの?」とか。健常者の方が思う努力のハードルって、かなり高いんだなって感じて。
私にとっては出場することが大切だったので、1回で成功ではなく、諦めずに少しずつ目標に向かいました。私が挑戦し続けることで、普通の人たちに「頑張り方にもいろいろあるんだ」「挑戦していいんだ」と思ってほしいんです。
そうしていたら、人間関係もがらっと変わりました。人生が変わるような出会いばかりで、一般社団法人を立ち上げたり、地元熊本のお祭りでは100名規模のチームを組んで参加したりもしました。
――でも、ここまで五体満足の頃のように日常生活を送ったり、ましてやマラソンまでこなしたりするのは、簡単なことではありませんよね。
久世さん:「やりたいことがあるならやってみよう」と思っているのが大きいです。あとは、気持ちが一番大切だと信じているからです。人によって強い部分や弱い部分は違いますが、私が挑戦を続けられるのは、応援してくれる人たちがいるからです。

