葬儀の手伝いをパートで始めたのがきっかけ
二十歳で結婚して、長男と長女の2人の子どもを育てていました――まあ幼稚園でも小学校でも率先してPTA活動をやって、バザーだのイベントだのなんでも取り仕切ってましたね。根っからのお節介というか、面倒見がいいというか(笑)
下の娘が幼稚園の頃、働きに出てみよう、と、お通夜や告別式に来られる会葬者に返礼品を配るパートを始めたんです。それがこの業界を知るようになったきっかけ。特に 興味があったというより、夕飯の支度をしてからでもできる仕事だったからやってみた、それだけです。
とはいえ、この仕事を抵抗なく始められたのは、幼い頃から神棚仏壇のある家で育って、祥月命日には必ずお坊さんがお経を上げに来ていた、という下地があったからかもしれません。亡くなった方を供養することが、ごく自然に感じられたんです。
返礼品を配るパートに過ぎないんだけど、葬儀の場で死という究極の悲しみの中に沈んでいる人を見ていたら、寄り添わずにはいられない。頭で考えなくても、そういう人たちが何を必要としているのか、どういう言葉を欲しているのか、本能的にわかって行動してしまうんです。
声を掛けたり、列に並ぶよう促したり、お焼香の仕方を教えたり。そういう働きぶりが葬儀社の目に留まって、パートを始めて3年ほどたった頃、正社員としてスカウトされました。
海外送還を担当し、ご遺族への誠実な思いから起業へ

最初は面白くて、一生懸命やりました。だけど、やればやるほど葬儀の表と裏が見えてきた。例えばご遺体に対しての社員の態度や対応が、ご遺族がいらっしゃる前と、いないときでは全然違う。ぞんざいで誠意のかけらもない。祭壇に飾られる花を何度も使い回すこともある。
経営ということを考えれば致し方ないのかもしれません。でも私は、人様の死にまつわることで、ずる賢く儲けるという考え方がどうにも受け入れられなかった。
そんなとき、日本で亡くなった外国人を母国に送ってほしいという依頼が来たんです。手続きが全部外国文書になるので、社員の誰もがしり込みした。「じゃあ、私がやる!」
私だって英語の辞書を開くなんて中学生以来でした。当時はネット翻訳なんてないから、辞書引いて悪戦苦闘――でもすごく楽しかった。これほどやりがいを感じたことは人生で初めてでした。それからは、海外との事案は全部私が担当するようになりました。
この仕事に専念したい。その思いで起業したのが、このエアハース・インターナショナルです。起業するまでも、した後も大変でしたが、ご遺体を日本で待つご家族の元に返すことだけを考えて正直に、誠実に活動していたら、外務省や領事館との人脈もおのずと育ってきたというわけです。

