メインはエンタメ取材。ライター歴30年以上の山崎伸子さんが、50代半ばで首都圏を離れ、高知へ移住することに。呑兵衛天国への期待を胸に始まった、高知生活のリアルとは?そこで直面したのは、仕事減少への不安と“昼間の孤独”でした。
知人も仕事もゼロ。青天の霹靂だった高知移住
三重県出身の私は、大学で京都へ出て以降、名古屋、東京と住む場所は変われど、長く都会を拠点に仕事と暮らしを続けてきました。そんな私が50代にして地方移住、しかも場所は、海を渡った高知!
それは、暮らしが変わるだけでなく、仕事や人間関係、そして自分自身の立ち位置まで揺さぶられる出来事でした。
どんぶらこどんぶらこと、流れるがままに——人生10回目の引っ越しで、高知へ来て早4年。
理由は、主人の転職で、最初に「高知へ移住したい」と言われたことは、私にとって“青天の霹靂”“寝耳に水”。「マジかあ~!」と心の中で雄叫びを上げました。
なぜなら、私の職業はエンタメ中心のライターで、メインの仕事はイベント取材やインタビュー。高知へ移住したら仕事が減るどころか、ゼロになるかも!?と、頭を抱えた次第です。
「仕事がなくなるかも…」エンタメライター25年の危機感
エンタメの仕事で初めてインタビューしたのは、1995年に『恋する惑星』で来日したウォン・カーウァイ監督でした。この仕事を始めて今年でちょうど30年! 俳優や監督、スタッフ陣への取材は、私にとって仕事の枠を超え、“生きがい”となっていました。
だからこそ、移住によってそれが途切れるかもしれない現実を、簡単には受け入れられなかったのです。
とはいえ、晩婚で子どものいない夫婦が、この年齢で別居するという選択肢もゼロ。
相方は“どっしり定住型農耕民族”ではなく、軽やかに移動できる“遊牧民”タイプ。結婚後、私たちは彼の転職ですでに2度、引っ越しをしていました。でも、これまでは東京や神奈川という首都圏暮らしで、仕事に支障をきたすことはありませんでした。
ところがどっこい、今回は高知です。映画関連のイベントや取材は皆無に等しい。
しかも、海を渡るから、東京への移動手段は基本、飛行機。移動するだけで、時間もお金もかかります。三重県の実家へ帰るのも、電車ではなく飛行機。交通費の負担は、正直、頭が痛いところでした。

