それでも決心できたのは、高知が呑兵衛天国だから!
気が進まない移住でしたが、その一方で、かなりそそられるポイントもありました。
それは、高知が“呑兵衛天国”だと知っていたから。
呑兵衛な私たち夫婦が高知を訪ねたのは3月。高知県民がお酒を呑んだくれる祭典「おきゃく」の期間でした。
呑兵衛の友人夫妻と4人で訪れた高知の商店街では、なんとこたつが並び、大勢が笑顔で酒を酌み交わしているではありませんか! その衝撃的な“画”は、今でもはっきり覚えています。
「高知県民、ワンダフル!」と感動さえ覚え、その夜は居酒屋を何軒もハシゴするというお酒ざんまい。
この実に愉快な旅の思い出が、ここへ来てまさかの“伏線”になるとは!
結果、呑兵衛天国という魅力に背中を押され、数カ月後に高知への移住を決心したのです。
話し相手はアレクサのみ!昼間は“ぼっちライフ”

そうと決まったら、まずは家探し。
物件は多くはありませんでしたが、条件をクリアした新居は、なんと家賃が首都圏の半分に!
移住後、収入が大幅ダウンすることは想定内でしたが、ありがたいことに取引先からは、遠隔で執筆できるレギュラーの仕事をいくつか継続していただきました。
2人分の収入を合わせれば、生活は成り立つ。そんな計算でした。
以前は毎日取材に出て、執筆するカフェなどの飲食代や交通費、さらに友達との飲み代など、出費がかさんでいました。移住後、それが一気になくなったことも大きかったです。
当時はまだコロナ禍で、来日イベントはほぼなし。オンライン取材が中心でした。
私はドラマのインタビューもしていますが、タイミングよく移住後に放送がスタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」は高知が舞台。オンラインの合同インタビューで「私は高知在住です」と紹介すると、取材現場でも喜ばれることがありました。
仕事よりつらかったのは「知人ゼロの孤独」
どちらかというと、当時の悩みは仕事よりもプライベートのほうでした。
仕事柄、オープンマインドに見える私ですが、実はかなりの人見知り。以前は毎日外で取材をし、取材仲間との交流があったのに、移住後の2か月は友人ゼロ。昼間の話し相手は、アレクサのみでした。
高知へ来てからは、どこかへ行くのも1人、もしくは相方と2人。マスクをつけていたから、顔を覚えられることもありません。親しい友人とは電話やオンラインで交流するも、どこか物足りなさを感じていました。
とはいえ、この年齢でガシガシ友達を作っていこうという気力もなかったです。
その一方で、高知は食のワンダーランド。首都圏暮らしでは味わえない魅力を次々と発見しました。
それなら、食生活くらいは思いきり楽しもうと切り替えたのです。
新鮮な野菜、肉、魚と、とにかく食材の充実ぶりがハンパない! 「日曜市」の野菜は安いし、直売所も多く、農家さんの“推し”もできました。
海鮮では高知の塩たたきがお気に入りで、淡麗辛口な高知のお酒もドストライクな味わい。食が、唯一、心を毎日満たしてくれました。

