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「姥捨て山」は共同体を守るための”命の選別”だった?介護・老老・孤立―日本の超高齢社会が突きつける現実

「姥捨て山」は共同体を守るための”命の選別”だった?介護・老老・孤立―日本の超高齢社会が突きつける現実

「姥捨て山」の伝説は日本各地に語り継がれてきました。一見すると残酷な昔話のように聞こえますが、その背景には人間社会が抱えてきた深い問題があります。姥捨て山が投げかける根源的な問いは、形を変えながらも現代社会にも確かに存在します。本記事では少子高齢化社会が抱える問題について、島田裕巳氏の著書『親じまい』(宝島社)より一部を抜粋・編集して解説します。

生存の選択としての「姥捨て山」

「姥捨て山」と聞くと、多くの人は老いた親を捨てる冷酷な行為を想像するでしょう。しかし、この日本各地に伝わる伝説の背景には、単なる残酷さだけでは片づけられない、極限状況における共同体の存続をかけた、苦渋に満ちた選択がありました。

現代の「親じまい」を考える上で、この伝説は、私たちが目を背けがちな、しかし避けては通れない、命の選別や資源の限界、そして共同体と個人の幸福の葛藤という根源的な問いを投げかけます。

「姥捨て山」の伝説の多くは、飢饉や疫病で共同体全体が存亡の危機に瀕する状況で語られます。食料が枯渇し、水さえ満足に得られない極限状態において、共同体のリーダーは「このままでは全員が餓死してしまう。誰かを犠牲にしてでも、より多くの命を救うべきではないか」という苦渋の決断を迫られます。

その犠牲の対象として選ばれたのが、生産活動に寄与できなくなった高齢者でした。若者や子どもは、共同体を再建し、子孫を残すための将来の「希望」であり「労働力」です。彼らが生き残らなければ、共同体そのものが消滅してしまいます。

「残酷」な伝説は「合理的」判断

このような切羽詰まった状況で、生存確率を高めるための「合理的」な判断として、姥捨てという選択がなされたと考えられます。

伝説によっては、子が親を背負って山に登り、親を置き去りにする際、親が子に「帰り道に迷わぬよう、小枝を折っておきなさい」と教えるなど、親子の深い情愛が描かれています。

これは、行為の残酷さだけでなく、その選択が親子双方にとってどれほど辛く悲しいものであったかを示唆しています。老いた親のほうは、共同体の未来と子の命を守るために、自らの死を受け入れたのです。

つまり、「姥捨て山」は、単なる「老いへの差別」や「冷酷な棄老」の伝説ではありません。それは、生存競争の極限において、限られた資源を若年層に集中させ、共同体の存続を図ろうとした究極のサバイバル戦略であったと解釈できます。

当時の社会に公的な福祉や医療が未発達だったことを考えれば、共同体の内部で生命維持の選別を行うことは、唯一の選択肢であった可能性があるのです。

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