※本記事は、本郷和人著『日本史の血脈』より適宜抜粋したものです。

◆戦国武将はなぜ官職名を名乗ったのか?
戦国時代に入ると、官職による名付けはさらに多様になります。たとえば、武田信玄の家臣である馬場信春。彼は「馬場美濃守信春」と名乗りましたが、これは朝廷から与えられた官職ではありません。「自称・美濃守」だったのです。
なぜ、彼がそう名乗ったのか。その理由は、武田家の家臣団のなかに、かつて原虎胤という武将がおり、「原美濃守」と呼ばれていたことが挙げられます。この原美濃守が引退した後、馬場信春は「その名を継いでお前も美濃守を名乗れ」と言われたのではないでしょうか。一つの家中で同じ官職名を使うことは通常は避けられたため、あくまで信玄の許可を得てのことだったのでしょう。つまり、これは、家の中での襲名であり、目印のようなものでした。
一方、同時代でいえば、織田信長の家臣・明智光秀は、「日向守」を名乗っています。こちらは朝廷から与えられた正規の官職でしたが、当時は国司といっても具体的な金銭のやり取りはなく、名誉職の意味合いが強かったと言えるでしょう。
◆豊臣秀吉の「豊臣」は氏?それとも苗字?

もう一つ、日本人の名前を考える上で、「法名」についても触れておきましょう。
これは出家した際に得る僧侶としての名前で、本名である諱とは異なり、新たに名乗るものです。たとえば、武田信玄は諱を「晴信」といいますが、出家後は「信玄」と名乗りました。上杉謙信も同様に諱は「景虎」ですが、出家後は「謙信」と名乗ります。したがって法名とは、諱に代わる位置づけだったのだと考えられます。

