いつまでも輝く女性に ranune
ダウン症の書家・金澤翔子さん!育った街で喫茶店を始めて新たな道へ

ダウン症の書家・金澤翔子さん!育った街で喫茶店を始めて新たな道へ

ダウン症の書家・金澤翔子さん。ハルメクではこれまでも翔子さんの活躍と、母・泰子さんの姿を追ってきました。2024年12月、翔子さんの書を展示していた画廊が喫茶店に。泰子さんは「終活が終わりました」と話します。

金澤泰子さん・翔子さんのプロフィール

金澤泰子さん・翔子さんのプロフィール

かなざわ・やすこ/しょうこ
母・泰子さんは1943(昭和18)年千葉県生まれ。書家の柳田泰雲・泰山に師事。東京都大田区に「久が原書道教室」を開設。翔子さんは85(昭和60)年東京都生まれ。5歳より母の指導で書を始め、20歳で初個展。東大寺などの神社仏閣で奉納揮毫(きごう)を行う。
下の写真は書籍『お母様 大好き』のために揮毫する翔子さん(撮影=中西裕人)

金澤泰子さん・翔子さんのプロフィール

「この街に翔子を託す」漠然とした願いが、ようやく形に

「この街に翔子を託す」漠然とした願いが、ようやく形に
東急池上線・久が原駅前からのびるライラック通りに、翔子さんの喫茶店があります

建長寺、建仁寺、東大寺、伊勢神宮、春日大社……。ダウン症の書家・金澤翔子さんが個展を開いたり、奉納をしてきた寺社の数は数え切れないほどです。その活躍を、母の泰子さんは陰になりひなたになり支えてきました。

けれども2025年82歳になる泰子さんは「もう翔子に書は無理」と打ち明けます。作品の依頼が来ると、サイズを確認したり筆や墨、紙の準備をしたり。「私が死んだ後のことを考えても、翔子が一人でそれをするのは難しいと思うんです」

そして泰子さんをずっと悩ませてきた「私が死んだら翔子はどうなるんだろう」ということ。それはダウン症の子を持つ親なら誰もが抱く思いではないかと、泰子さんは言います。

「翔子は30歳の時から、生まれ育った久が原の町でひとり暮らしをしていて、お肉屋さんや喫茶店の常連になってました。だから私も数年前から『この街に翔子を託すことが私の終活』と言って、画廊も開いたのですが、街に託すって漠然としてますよね。具体的な答えがなかなか見つからなかったんです」

「この街に翔子を託す」漠然とした願いが、ようやく形に
翔子さんのジム仲間もお茶をしに立ち寄ります

思いあぐねた泰子さんは、1年ほど前、翔子さんの活動をサポートしてくれていたスタッフの相原雅樹さんに「もう翔子と二人で入れる老人ホームを探そうかしら」と相談したそうです。すると相原さんは「それは、寂しい将来ですね」と。

やはり何か考えなくては――と思った矢先、コロナ禍で行きつけの喫茶店が閉店。そこで泰子さんは決断します。この画廊を喫茶店にしよう!

配信元: HALMEK up

あなたにおすすめ