◆大学8年生で祖父へ見せた「卒業見込み」
――反抗期もないのはすごいですね。楊木田英輝:反抗期とは違いますが、期待に抗ったことならあります。まさに東大文Ⅰへの受験です。祖父は看護師でしたから、若くて知識も浅い医師がベテランの自分よりも高い給料をもらうことに対して複雑な思いを抱えた人でした。簡単に言えば、医師へのコンプレックスがあったのだと思います。祖父や大叔父(祖父の弟)は、私を医師にしたいと思っていたのでしょう。
文理選択の前、文系に進学しようとしていた高校1年生の私を、2人が呼び出したのです。「お前、文系で何をしたいんや」と言われて、私は「弁護士か官僚になりたいです」と答えました。「弁護士なんてんなってもしゃあないやろ」と露骨にがっかりする大叔父をみて、私は「官僚になって国のために働きたい」と説得しました。祖父は公立病院に勤務していましたから公務員ですし、大叔父も公務員なのです。最終的に、認めてもらうことができました。
――進路に口を出されるのは腹が立ちませんでしたか。
楊木田英輝:いえ、そのようには思いませんでした。自分のためにわざわざ時間を作って説得をしてくれているのだから、何とか私の考えていることを伝えて、納得してもらいたいと思っていました。
――失礼ながら、楊木田さんはそのあと、東大ではなく早稲田大学に進学し、そのあと何度も留年し、官僚にはなっていませんよね。
楊木田英輝:そのとおりです。私が大学8年生のとき、祖父は他界しました。最期まで、私が卒業できるのかどうか、心配してくれていたと聞きました。大学の“卒業見込み”という文字を見せたことがあるのですが、涙を流して喜んでくれました。結局、祖父の恩に報いることはできませんでしたが、将来的に卒業できることを伝えられて、安心してもらえたのではないかと思っています。
◆早稲田の顔ぶれにがっかりした
――早稲田大学は、楊木田さんにとってどんな場所でしたか。楊木田英輝:当時はまだインターネットなどもなく、情報の薄い時代でした。私は勝手に早稲田大学法学部の半数くらいは東大を受験して失敗した人が来るものだと思っていたんです。けれども蓋を開けてみると、模試の成績上位者の在籍校でよくみる学校もそれなりにあったものの、初めてみる学校の出身の同級生もわずかにいて、非常にがっかりしました。
ただ、学生生活を通して思うことは、非常に度量の広い大学だったということです。また、智辯和歌山高校がなければ早稲田大学にも出会っていないので、母校に深い感謝があります。
――仮面浪人・再受験交流会を設立した理由はどのようなものですか。
楊木田英輝:私自身が早稲田大学在学中に精神疾患を患ってしまい、医師からも長期間での療養が必要になる旨を告げられました。そのとき、長年描いてきた官僚という夢を断たれる音を聞いたんです。同時に、たとえ仮面浪人が成功しなくても、仲間と親睦を深めていける暖かい場所があればいいなと思って作ったんです。

