◆前席の乗客と一触即発状態
のぞみは速度を増し、名古屋を過ぎようとしていました。周囲の乗客が仕事の資料に目を通したり、仮眠を取ったりしている中、ただ一人、木内さんだけが“隣の騒音と圧迫”に耐えながら東京へ向かっていました。そして、その騒動の火種は、思わぬ方向へと転がっていきました。
「男性の前に座っている乗客が、ゆっくりとリクライニングを倒そうとしたんです。最初は普通の動作でした。でも……」
何度試しても、倒れない。ほんの数センチ倒れた程度で“ゴン”と引っかかる感触があったようです。理由は明白でした。そう、あの巨大スーツケースです。高さも厚みもあるケースは、前席の背面に完全に接触し、リクライニングを阻んでいたのです。
「前の方が何度かトライしていたのですが、全然倒れないんです。しまいには小さく舌打ちが聞こえました」
男性はイライラした様子で何度も振り返り、状況を確認していました。しかし、当のスーツケース所有者はというと――。
「いびきをかいて熟睡してたんですよ。イヤホンの音漏れを響かせたまま」
そのコントラストが、前席の乗客の怒りに一層火をつけたかもしれません。木内さんは、嫌な予感を抱きはじめていたといいます。
◆天罰がくだり、静けさが戻る
やがて前席の乗客は、ついに堪忍袋の緒が切れたようでした。深呼吸を一つしたかと思えば、座席に体を預け、全体重をかけてリクライニングを“グッ”と倒しにいったのです。その瞬間――。
「ベリッ!」
新幹線車内に、何とも言えない異音が響きました。見ると、スーツケースの側面が無残に凹み、形が明らかに変形していました。安物の樹脂ケースだったこともあり、耐えきれずへこんだのでしょう。

男性は凹んだスーツケースを見て激怒。「おい! 何してくれとんねん!」と、前席の乗客に詰め寄ります。一方、前席の乗客も負けていません。
「そっちが非常識だろ! 足元にこんなもん置くなよ!」
言い争いは瞬く間にヒートアップし、ついには互いに腕を掴む形となり、ほぼ小競り合いに発展。周囲の乗客が息をのむ中、木内さんはただ呆然とするしかなかったといいます。
「“やっぱり起こったか……”という気持ちでした。僕は完全に巻き込まれたくなかったので、ただ固まってました」
ほどなくして、周囲の乗客から車掌に通報が入り、数分後、青ざめた表情の車掌が駆けつけました。
「お客様、まず落ち着いてください!」
双方の言い分を聞き取った車掌は、静かに二人を別車両へと誘導。喧嘩の拡大を避けるための措置だったようです。そして ――。
「その後、隣の席は完全に空席になったんです。ようやく、やっと静かになりました」
長い戦いが終わった瞬間でした。
<TEXT/八木正規>
【八木正規】
愛犬と暮らすアラサー派遣社員兼業ライターです。趣味は絵を描くことと、愛犬と行く温泉旅行。将来の夢はペットホテル経営

