大股を広げ、色気全開のポーズを決める、あでやかなこの男。しかし、今日の衣装は、ちょっと抑えめなぐらいだ──。今、音楽業界で最も注目株といえるシンガー・ソングライター。本能を剥き出しにした楽曲を作る男の信条とは?

◆表現を曲げるなら、音楽なんて辞める
Snow Manに提供した「オレンジkiss」は、2022年年間シングル売り上げ1位を獲得。ほかにも東方神起、Kis-My-Ft2など“男性アイドルの艶”を楽曲で成立させたら、日本で右に出る者はいないシンガー・ソングライター、SHIROSE。本人はアーティストとして布面積を極限まで削った衣装で、時にはほぼ裸のままステージに立ち、セクシーな表現を歌い上げ、熱狂的女性ファンが急増中。’26年最も注目される表現者の正体に迫った──。──10代の頃は800m走の選手だったとか。
SHIROSE(以下、S):中学時代にはジュニアオリンピックに出たし、世界一を目指してました。山籠もりしたら、足がものすごく速くなったので。
──どういうことですか!?
S:中2の夏休みの40日間、山に籠もって毎日坂道ダッシュ1000本と懸垂1000回していたんです。当時、地元の京都の中学生陸上大会で優勝した選手が一日10本坂道ダッシュするって聞いたので、その100倍やれば勝てるかな?って(笑)。
──そこから、どのように音楽の道を目指したのでしょうか?
S:高1の時、靱帯を傷めて3年間リハビリすることになってから、自分自身に無価値感を覚えるようになって。大学に入ってからも靱帯を再び傷めて、やることがなくなってヒマだった時、練習日誌をさかのぼってみたんです。当時の僕は練習してないから日々の感想文みたいなことしか書いてなかったんですけど、一番辛かった高2の日誌に(※1)「そのウソツキな目が優しく笑うから/僕はバカを演じるよ」って書いてあって。我ながらすごくいいなと思って。その2行にメロディとピアノの伴奏をつけてみたら、それが悪くなかった。それがきっかけですね。
◆ホームレス同然で上京、北欧へ“押しかけ”修業
──もともと音楽は好きだったんですか?S:幼稚園年少から小6までクラシックピアノを習っていたし、小学校時代はKiroroやカーペンターズをよく聴いていました。でも僕、完全に声フェチだからKiroroなら「未来へ」という曲の「前を見てごらん」ってフレーズのうち玉城千春さんの「前」の部分の声が好きで、そこを100回くらいループするように編集するんです。車で移動中でもそれを聴くから、同乗している人にはスゲー嫌われてると思います(笑)。
──一方、音楽的に影響を受けたアーティストは?
S:小学生の時に(※2)2PACにハマり散らかしまして。高3の時には彼の名前のタトゥーを彫ったくらいでした。初めて歌詞にハマれたアーティストなんです。まあ、「人生を変えるために危ないこともやるぜ!」みたいなことを歌っているんですけど(笑)。僕自身人生を変えたかった高校時代にそれが本当に刺さった。それでアメリカのブラックミュージックにハマって、エロいことを歌うR&Bも知り……。
──代表曲「Tattoo」の歌詞「俺の目をみて服を脱げ」は話題になりましたが、小学生時代にすでに今の作風のルーツに出合っていた、と。

──現在活動するユニット・(※3)WHITE JAMのメンバーとの出会いは?
S:意外なことにその直後だったんですよ。その時はヘッドセットマイクをして、自分でiPodを操作して曲を出して歌いつつ、チラシを配るというライブをしていたら、それが話題になって数か月後にはロータリーいっぱいの人が集まるようになったんです。「曲はいいけど、なんかヤバいヤツがいる」ということで(笑)。で、そのお客さんの一人が(※4)GASHIMA君だったんです。彼は僕ら世代ではちょっとした有名人で、同い年だったこともあり、すぐに意気投合して、僕の曲でラップしてくれるようになりました。
──女性ボーカルの(※5)NIKKIさんとの出会いも溝の口?
S:いや、GASHIMA君と一緒に出るようになったライブハウスの対バン相手が彼女でした。完全に好みの声だったので「僕の曲で歌ってください!」って誘って。ただ、活動が順調だったわけではなく。2人と出会った頃に僕が2万人が応募するオーディションを受けたら男性部門で優勝しちゃったんです。
──「優勝しちゃった」って?
S:優勝したら自分の曲でデビューできると思っていたんですけど、そのオーディションはボーカリストを探していたらしくて。当時の僕の曲の中にはのちにWHITE JAM名義で発表したものもあるんですが、それを聴かせても「ダメだ」と言われて……。迷った結果、事務所をやめてスウェーデンに行くことにしたんです。その頃、バックストリート・ボーイズの「I Want It That Way」がすごく好きで、調べたらマックス・マーティンとアンドレアス・カールソンというスウェーデンのプロデューサーが作詞・作曲していた。それでFacebookやMySpaceから「僕と一緒に曲を作ろう」ってメッセージしまくってたら、根負けしたのか「じゃあ来てみなよ」と言ってくれたんです。

