◆世間的な“正しさ”よりも、自分の感覚を信じるのが正解
──行動を起こす時のはじめの一歩がまあ、過剰ですね(笑)。S:そうかもしれない(笑)。今でこそコライトはJ-POPでも当たり前になってますが、当時のアンドレアスは当然日本の音楽なんて知らないし、共通言語なんてひとつもなかった。だからこそ、日本から突撃してきた少年にビビりつつも一緒に曲を作ってくれた。彼らには本当に感謝しています。
──そしてWHITE JAMの活動や、ほかの人に楽曲提供する作家活動が本格化した?
S:実はこれが全然軌道には乗らなくて(笑)。帰国後、スウェーデンで作った曲をレコード会社に送りまくっても全部ボツ。K-POPブーム前夜だったこともあって「歌詞の解像度が高すぎる」「歌詞が断定的でパーソナルすぎる」と言われました。

S:なのに腐らないのが僕の偉いところ。僕と同じように個性的すぎるボーカリストさんに楽曲提供を始めて彼らとライブイベントを開くようになったら、それが人気になって。最終的にDa-iCEさんやNissyさんや(※6)松田聖子さんの関係者も観に来ていたんですが、その直後に彼らから楽曲の制作を依頼されるようになったんです。
──WHITE JAMにとっての転機はいつ頃ですか?
S:’20年に発表した「Tattoo」と「磁石」をきっかけに目に見えて知ってくれる人が増えた気はします。
──その2曲って息が長いですよね。’25年頭にもYouTubeでMVがバズっていたし。
S:僕の曲って異質で、皆さんが自分なりの楽しみ方を見つけるのに3年かかるみたいで。
◆ようやく自分の表現に、お墨付きをもらえた
──あとはそのファッション……ほぼ裸のようなスタイリングが賛否両論を呼んでいます。S:僕は激イタ男なので(笑)。あの服を本気でカッコいいと思ってデザインしてるし、あの手の服は中学時代から作っていたんです。陸上大会で活躍すると女子がガラケー片手に「腹筋撮らせてください」って言ってきてくれたりするから「みんなが見たいなら」ということでTシャツの裾を切り刻んでましたし。
──「キモい」みたいなコメントって傷つきません?

──お墨付きを得た今、やってみたいことは?
S:僕らは’27年に日本武道館でのライブを目指しています。まずはその前哨戦である、’26年4月のホールライブをやり切るのが当面の目標ですね。
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突き抜けすぎた個性は、今や誰にも真似できない武器へと昇華した。衝動を信じて進んできた軌跡そのものが、彼の音楽の確かな証明になっているのだ。
【SHIROSE】
京都府出身。本名は白勢貴仁。’14年、「WHITE JAM」を結成。4オクターブの高音が特徴。嵐、AAA、Kis-My-Ft2、WEST.など著名アーティストに楽曲提供も行う。’25年12月のライブを皮切りに全国ツアー「池袋サンシャイン」を開催。’26年4月25日、Kanadevia Hallにて初の3000人ライブを実施
(※1)「そのウソツキな目が優しく笑うから/僕はバカを演じるよ」
’14年に発表されたWHITE JAMの楽曲「ウソツキ」のワンフレーズ
(※2)2PAC
米国のラッパー。幼少期、東海岸のブロンクスから西海岸に移住し、1991年にギャングスタラッパーとしてデビュー。ドクター・ドレー、ロジャーと共作した1995年の楽曲「California Love」がビッグヒットを記録する。翌1996年、当時米国で巻き起こっていた東海岸のラッパーと西海岸のラッパーによる抗争の影響か、何者かに銃殺される
(※3)WHITE JAM
ラッパー・GASHIMA、女性ボーカル・NIKKIとともに’14年に結成した音楽ユニット
(※4)GASHIMA
兵庫県生まれ、アメリカ育ちのラッパー。双極性障害を罹患したことから精神疾患への啓蒙活動も行う
(※5)NIKKI
大阪府生まれのシンガー・ソングライター。ソロ活動も行い、2ndシングル「ニブンノイチ彼氏」がSNSを中心に人気を呼ぶ
(※6)松田聖子
’13年のクリス・ハートとのデュエット曲「夢がさめて」の作詞・作曲・編曲を担当。同年『第64回NHK紅白歌合戦』に出演した松田はクリスとともにこの曲を歌っている
取材・文/成松哲 構成/安羅英玉 撮影/立花奈央子
―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

