「バツイチ」という言葉の由来は戸籍にあった―。
離婚は日本において、現代もなお「バツイチ」「戸籍が汚れる」といった言葉に象徴されるように、負の烙印のイメージがまとわりつく。
本連載では日本の「戸籍」とその歴史について、政治学者の遠藤正敬氏が解説。
最終回となる第6回では、かつて戸籍に刻まれた「烙印」が、今もなお、日本人の心にいかに根付いているのかについて取り上げる。
※この記事は遠藤正敬氏の書籍『戸籍の日本史』(集英社インターナショナル)より一部抜粋・構成。
江戸時代の離婚は協議離婚だった?
日本は「3組に1組は離婚する離婚大国」などとしばしば言われる。だが、これは単純に年間の婚姻件数と離婚件数とを基準にしているので、正しい数字とは言えない。
総務省統計局が公表している「世界の統計2025」によれば、日本の離婚率は1000人当たり1.5であるが、これよりも離婚率が高い国はジョージアの3.8を筆頭にいくつもあり、むしろ日本は離婚率が低い方である。
ただ、日本では協議離婚、すなわち夫婦間の合意に基づいて離婚届を出せば離婚が成立するので、これは外国の制度と比べて簡単に離婚ができる仕組みであるといわれている。
今日も離婚のことを、江戸時代の庶民の間で行なわれた離縁状制度になぞらえて「三行半(みくだりはん)を突きつける」と表現することがある。
離縁状は夫から妻に渡す書状であり、公事方御定書によって義務づけられていた。
この離縁状は離婚する旨の文言と、妻の再婚を許可する旨の文言から構成されているが、それらを三行半に収めて書く慣行があったから、この名が付いた(実際には三行半以内でなくても離縁は認められた)。
ちなみに、離縁にあたって法律上の手続きや離縁状の作成を代行する商売を請け負ったのが「公事師」であり、これが後の「代言人」すなわち「弁護士」のはしりになったといわれる。
しかし、三行半を渡された妻の側の合意(「返り一札」という受取証を夫に渡した)がなければ離婚は成立しなかったので、これはまさしく協議離婚であり、その慣習が今日にも引き継がれているようである。
「バツイチ」の語源とは
ところで、離婚歴のある人をよく「バツイチ」というのを耳にするであろう。離婚回数が増えるほど「バツニ」「バツサン」……等と呼ぶこともある。この「バツ」とは何のことか?これは戸籍が紙媒体であった時代に由来する言葉である。
まず、婚姻によって実家の戸籍から除かれると、その名前に朱書きで「×」が付けられた。これが離婚して実家の戸籍に復籍すると、「×」で消された自分の名前の横に再びその名前が記載されるが、「×」は書面上に残ったのである。そこから「バツイチ」という言葉が生まれた。
この「×」は婚姻時に実家の戸籍に書かれるのであって、離婚の際に夫婦の戸籍に「×」がつくと誤解されがちである。これも「離婚イコール人生の失敗」すなわち「家の不名誉」だから戸籍に「×」という汚点が見せしめ的に残るのだ、という近代日本の「家」意識の反映ではないか。
既述のように、現在の戸籍は電算化されているので、結婚前の戸籍に「除籍」と記載されるだけでバツは付かないが、世間では「離婚=戸籍にバツがつく」という観念はしっかり残っているのである。
また、「戸籍が汚れる」という言葉もしばしば耳にする。行政上の書類である戸籍に「キレイ」も「キタナイ」もないはずだが、戸籍に離婚歴が残れば「戸籍が汚れる」として忌み嫌われるのである。
今日の戸籍は公開制ではないから、昔のように勝手に赤の他人に戸籍を覗かれるようなことはないが、精神衛生上、自分の戸籍から「離婚」という痕跡を消したいと望む人も少なくないであろう。
その場合は、転籍や分籍によって自分の戸籍を新たに作り直せばいい。分籍とはいったん婚姻前の戸籍に戻ったのちに、自分が筆頭者になった戸籍を作ることである。いずれも新しくなった戸籍からは離婚の記載がなくなる。これが「戸籍をキレイにする」と表現される手続きである。
それにしても、日本人は世界でも類をみないキレイ好きな国民であるとはよくいわれるが、戸籍にまで「衛生」を求めるのはかえって神経質に過ぎる。
だが、それもやはり、戸籍が「個人」のものというより「家」のものであるという思考が根強いからこそ、「戸籍が汚れる」ことを当人のみならず親族までもが「一家の不名誉」として嫌悪するのであろう。

