
「今年も平穏に、そしてさらなる飛躍を」――。新年を迎え、そう決意を新たにした経営者は多いはずです。しかし、組織が順調にみえるときほど、経営者の目には映りづらい致命的な死角が生まれます。経営において、最大のリスクは外部の競合ではなく、内部の信頼に潜んでいることも……。本記事では、渋谷社長(仮名)の事例とともに、不正送金事件の実態と背景について、資産形成・経営アドバイザーの萩原峻大氏が解説します。※本記事で紹介する事例は、実際にあった出来事を基にしていますが、個別事案が特定されないようプライバシーに配慮し、登場人物や具体的な状況に一部変更を加えて再構成したものです。
初詣の願いを断ち切った、経理部長の「ひと言」
「今年も会社が平穏に、そして一段上に進めますように」
1年前の元日の朝、渋谷社長(仮名/48歳)は都内の神社で手を合わせました。吐息は白く、境内には参拝客の列が続いています。
業績は安定し、組織も落ち着いている自社。脇を固める経営陣も育ち、右腕と呼べる幹部もいます。中小企業としては、むしろ順調すぎる年明けです。
3日後の朝まで、悪い予感は一切ありませんでした。
経理部長が差し出した「1枚の資料」
そして迎えた1月4日。年始最初の出勤日、まだ正月気分が少し残る社内で、社長はコーヒーを淹れながら、仕事始めの段取りを確認していました。すると、ノックの音が響きます。
「社長……少し、お時間よろしいでしょうか」
社長室へ入ってきた経理部長の表情は、正月明けとは思えないほどこわばっています。
「こちらの資金移動記録なのですが、いくつか不自然な点がございまして」
差し出された資料には、「3,000万円」という数字と承認時刻が記されていました。その金額の大きさと時刻の不自然さに、社長も違和感を覚えます。
「たしかに不自然だな。まあでも、入力時刻がズレただけだろう。年末処理の行き違いかもしれない」
「だといいんですが……もう少し詳しく調べてみます」
そして原因が明らかにならないまま、その日は過ぎていきました。
3,000万円を不正送金していた“意外な人物”
翌朝、経理部長はノックもなしに、再び社長室を訪れました。
「社長、昨日の資料ですが、ログを確認したところ振込先が途中から追えなくなっています」
3,000万円の資金移動は従来どおり確認できるものの、本来表示されるはずの最終口座が、途中で消えているのです。前日の楽観視から一転、社長は外部からの不正アクセスを疑いましたが、経理部長は首を横に振りました。
「外部アクセスの形跡はありません。私も疑って調べてみたんですが、この操作はおそらく社内からです」「……うそだろ?」
資金移動記録を操作できる人物は限られています。社長の脳裏に、1人の顔が浮かびました。
「……佐伯(仮名)か?」
佐伯さんは、起業から10年以上、渋谷社長の右腕として会社の成長を支えてきました。渋谷社長の大学時代からの親友であり、財務にも業務にも精通し、社長は社内の誰よりも信頼していました。
「はい。佐伯さんの承認記録が、上書きされているようにみえます」
これは偶然でもミスでもなく、誰かが意図的に金を動かし、痕跡を消している――。初詣で願った「平穏な1年」は、わずか4日で崩れ去ったのです。
