いつまでも輝く女性に ranune

動き出した解散総選挙、その最前線で働く議員秘書たち 「落選すれば失職」の現実が「なり手不足」につながる

「民主党」の変遷と歩んで25年余、うち「失業」も計3年

次に、立憲民主党の後藤祐一国対委員長代理(56)の藤巻浩秘書(59)。解散報道があった10日の夜に、長時間の打ち合わせをして、選挙区の神奈川16区の厚木市に選挙事務所を確保するなど、連休中から選挙準備をスタートさせた。年末に「通常国会が23日召集」と決まった時点で、「年明け解散なし」が与野党の共通認識となったため、国会閉会の12月下旬から正月明けまではゆっくり休めたが、それが一気に吹き飛んだ。

議員会館は藤巻さん一人で守り、地元3人との「4人体制」だ。代議士は自分で国会質問を書くタイプのため、バックデータ集めが専門だが、事務作業全般とゴミ出しまでやってきた。

自民党でも秘書を多数抱える議員はいなくなった

藤巻さんが民主党系の秘書になったのが2000年夏。

間もなく民主党代議士が「秘書給与流用事件」で逮捕され、02年には社民党代議士も逮捕された。秘書給与流用事件は、これ以前に自民党でもあった。当時は、親族を秘書名義として秘書給与を流用する事案が後を絶たなかったが、04年の法改正で、公設秘書への寄付の勧誘、要求が禁止された。藤巻さんは、事件に巻き込まれることはなく、以降は、給与がらみの不正は周りでは聞かなくなったという。

日本の国会議員には公設秘書2人のほかに、1993年に政策担当秘書が導入された。官僚主導とされる日本の法案作成の慣習に、議員による立法を増やそうとした試みだ。藤巻さんによると、「野党だと秘書は4~5人が普通ですね。自民党さんでも10人以上、というのは珍しくなりました」。

その後。05年に担当代議士が落選。生き残った議員の事務所の手伝いなど、2年弱はフリーターのような暮らし。政権交代を経た野党転落後の13年に、再び担当議員が落選。都議会議員の事務所を手伝ったりしていたが、派閥互助会のような助け合いがあった自民党とは異なり、民主党は党の支援は一切なかった。09年の民主党政権交代も含め計3人の議員の秘書を務め、まさに「激動」の時代だった。

配信元: J-CASTニュース

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