【日本庭園 超・入門】なぜ水がないのに「海」が見えるのか? 京都・枯山水が600年以上も人々を魅了する「見立て」の魔力

【日本庭園 超・入門】なぜ水がないのに「海」が見えるのか? 京都・枯山水が600年以上も人々を魅了する「見立て」の魔力

枯山水

白砂と石だけで、大海原や深山幽谷を表現する「枯山水」。室町時代から続くこの庭園様式は、水を一切使わずに自然を象徴化する「見立て」の技法を極め、独自の美学を築いてきました。スティーブ・ジョブズなど世界のトップリーダーをも惹きつけ、禅の精神が宿る「余白の美」の正体とは? 600年の時を超えて、今なお私たちの心を静かに整え、想像力を刺激し続ける枯山水の謎と、その深遠なる魅力について、フランス在住の庭園文化研究家、遠藤浩子さんが解説します。

枯山水の誕生

枯山水

鎌倉時代から室町時代にかけてかたちづくられていく「枯山水」は、水を使わずに石や砂によって象徴的に自然を表現する庭であり、日本独自の庭園文化を象徴する存在として定着していきます。

枯山水は主に禅宗寺院で作庭されたことから、禅の精神を体現する庭園空間として発展してきました。海外では枯山水をそのまま「カレサンスイ(Karesansui)」と呼ぶこともあれば、「ドライ・ランドスケープ・ガーデン」という説明的な訳、あるいは「ゼン・ガーデン」という意訳的な呼称が使われることも少なくありません。

とくにフランスでは、「ゼン(Zen)」という言葉そのものが、日常的な文脈のなかで、心の平静やリラックス、ミニマル、簡素、調和といった意味合いを含んで使われるようになっています。そうした背景もあり、外国人にとっては、禅という言葉の響きがもつ精神性《静謐さや簡素さ》を体現した枯山水の風景そのものが、日本庭園のイメージとして受け取られることもあるようです。

自然の景観
amosfal/Shutterstock.com

枯山水における「山水」とは、文字通り山や水の風景、すなわち山々や川、滝、湖、海といった自然景観全般を指します。ただしそれは、実際の風景を映し取るのではなく、哲学的、精神的な意味合いを込めて、自然を理想化し、象徴化した風景です。

宋代中国から伝わった山水画にみられる美意識の影響を受け、禅僧の修行や瞑想の場として理想的な自然風景を象徴する空間として整えられてきた枯山水。簡素、静寂、余白を重んじ、観る者の心を整えるための庭であると同時に、京都など都市部においては、限られた水資源という作庭上の制約を克服するための手法でもありました。

水の流れ
Sigit Hananto Gallery/Shutterstock.com

池や流れによって海洋や自然の風景を表現する日本庭園にとって、水はきわめて重要な要素です。しかし敷地条件によっては、豊富な水資源を用いることが難しい場合もあります。水を白砂に置きかえ、水なき場所に象徴的に水景を出現させる……枯山水は、なんとも巧みな「見立て」の世界ともいえるでしょう。

大徳寺大仙院庭園

京都・紫野にある大徳寺の塔頭・大仙院の枯山水庭園は、室町期枯山水の完成形として知られます。方丈を囲む庭園では、石組と白砂によって水の流れや周囲の風景が表され、山深い滝を源流にした川が、京都の市中を経て大海へと注ぐまでの景観が象徴的に描かれています。

大徳寺大仙院、枯山水庭園
大徳寺大仙院、枯山水庭園。岩石と白砂で構築された深山幽谷の自然風景は立体化された山水画のようでもある。

その構図は、自然の本質を凝縮した風景であると同時に、紆余曲折しながら流れていく人生を重ね合わせた、悟りへと至る物語とも解釈されます。静謐な観照と瞑想にふさわしい空間であり、省略と余白を生かした抽象的な造形は、立体化した山水画と呼ぶにふさわしいものです。

このように、深い精神性をもって高度に抽象化された造形美は、モダンアートにも通じる普遍性を備えています。文化背景の違いを超え、誰もが自由に「感じ」、物語に「感動」できること――それこそが、枯山水が持つ独特でありながら普遍的な魅力であり、世界の人々の心をとらえ続ける理由なのかもしれません。

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