いつまでも輝く女性に ranune
「気づいたら好きになってた…」“妹みたいな存在”から抜け出せない23歳の切ない片思い

「気づいたら好きになってた…」“妹みたいな存在”から抜け出せない23歳の切ない片思い

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。

▶前回:夫と別れたあとの後遺症がひどくて…。妻でも母でもなく、女として生きた彼女の末路

西麻布交差点から5分ほど歩いた場所にあるBAR・Sneet。30年近くこの街の全てを見つめてきたこの店の経営者が、日本のみならず世界中の大物たちから頼られる、西麻布の女帝・光江だと知る人はそう多くはないが、実はこのSneetの個室から、日本や世界を動かす政策や取引が生まれることは少なくない。

細部にまでこだわった室礼。見る人が見れば、壁にかかる絵画や調度品の価値に息を呑むはずだ。例えば、カウンターにさりげなく置かれている一輪挿しさえ、オークションハウスのカタログを飾るべきマスターピースだったりする。

それでも店の雰囲気はいたってカジュアルだ。会員制や紹介制ではなく誰もが訪ねることができるし価格も良心的。なのに治安も客層も守られているのは、「うちの番犬は目と鼻が利くからね」と光江が誇る、190cm超えのマッチョな強面、ミチが店長だからだ。

番犬の“センサー”に引っかかった人物は決してSneetに入れない。今夜も2組ほどの入店を断ったミチは、カウンターの中にある小さなキッチンで、鍋の火加減に気を遣いながら、試作中のスパイスカレーを無心に頬張るルビーをちらりと窺う。

来店の連絡もなく現れ、カウンターの端から2番目、いつもの席に陣取ったルビーは、先ほど実の母に別れを告げてきたばかり、らしい。

「いや、待って。マジうまいんですけど、これ」

スプーンの止まらないルビーの、いつもの通りの食欲に安心し、空になりそうなルビーのジントニックのグラスを見たミチは、今のカレーにはモヒートの方が合うだろうと、次の一杯を作り始めた。

「ねえ、これ新作だよね?ガッツリスパイスが効いてて、チキンが口の中でほろほろ~って崩れてく感じも最高なんですけど…!何ていうカレー?」

「スリランカ風チキンカレー。添えてるその白いやつはココナッツのサンボルっていうんだけど。ルゥに混ぜると味変になるぞ」

さん、ぼる?とルビーが素直にカレーに混ぜて口に運ぶ。シャリシャリと小気味のいい音が響いたかと思うと、ぱぁっとその顔が明るくなった。

「なにこれ、楽しい!甘いのに、酸っぱくて、別の辛さになった感じ。あ、ヤバい。これ、永遠に食べられちゃうやつじゃん。何入ってるの?」

すりおろしたココナッツに、玉ねぎと唐辛子、そこにライムを搾ったもので、日本でいうと薬味や和え物に近いものだとミチが答えると、ルビーは心から興味深そうに頷きながら、パクリともうひと口食べた。

「これマジで好き。超好き」
「合格か?」
「うん、超合格」

満面の笑みでお代わりをねだられ、ミチは“スリランカチキンカレー”を正式メニューに入れることに決めた。新作の試作は必ずルビーに食べてもらい、反応が良ければメニューに加える、それがルールだ。

「ミチ兄、なんで笑ってるの?」

ミントたっぷりのモヒートをルビーに出したタイミングで聞かれ、ミチは自分が笑っていたと知る。

表情筋が動かないランキングがあれば、日本トップ10には入るとルビーがからかうほど、ミチの表情は読み取りにくい。その変化に気づく人は極めて少ないが、ルビーはその数少ない一人だった。

「笑ってるように見えたなら…たぶん、ルビーに褒められたのがうれしかったってことじゃないか?お前が幸せそうに食ってるのを見ると、なんというか…ホッとすんだよ」

笑顔の自覚がないまま、自らを探るようにポツ、ポツと答えたミチに、ルビーはなぜだか黙ってしまい、はぁ~と大きなため息をついた。

「ミチ兄、そういうとこだよ」
「何がだよ」
「そういうの、ほんと良くないと思う」
「だから、何が良くないんだよ」

もういいよ、と呆れたような笑顔で「サンボルもカレーも大盛で」と言い放ったルビーにお代わりを出しながら、ミチは「適当に言ってるわけじゃねぇからな」と付け加える。

「新作のメニューを考えるとき、いつもなんとなく、お前の顔が浮かぶっていうか、ルビーはどんな反応すんのかな、って感じで試作していくからさ」

「…え…」

「オレの料理を、今、一番美味しそうに食ってくれんのはルビーだから。お前が喜ぶものを作りたいとは思ってるよ」


ぎゃああああああ!!と叫んでしまいそうになったルビーは、カレーをかき込むふりで、なんとかごまかした。

ほぼ告白じゃん?勘違いしてもいいヤツじゃん?と、不意打ちで射抜かれた胸が、ジンジンと熱を持つ。

― でも、これが無意識発言なんだよなぁ。

ミチはこういう男なのだ。ミチの“センサー”は、悪意をあぶりだすことには長けているが、自分に向けられる恋愛的好意には、限りなく無頓着だった。

ミチに言い寄るお姉さま方は少なくないが、彼はいつも、それらをさらりとかわすばかりで、相手が本気であることなど気づいていないのだろう。

― アタシの場合は…妹ポジションだから、っていうのもあるんだろうけど。

西麻布の女帝に拾われたという共通点。自分と似た境遇で苦しんできたルビーを、ミチが「放っておけない存在」として特別視してくれている…という自負はあった。それだけで満足していられれば良かったのに、気づけば恋に落ちてしまっていた。

ミチを好きになるまでだって、いくつかの恋をして、愛し愛されてきたと思う。愛を知らずに育ったからこそ、手探りだけど、必死に、正直に、想いを言葉にしてきた。けれど、ミチにだけは――伝えるのが怖いのだ。

元恋人のメグが訪ねてきても、ともみに向けられるミチの視線が親密になっていくことにも、ただ傍観者でいるべきだと、自分に言い聞かせてしまっている。

― でも、今日はもういいや。……考えたくない。

母との別れ、その母をともみに押し付けてきてしまった罪悪感、募るばかりのミチへの想い。ぐちゃぐちゃでまとまらない全てを、美味しいカレーとお酒でごまかしてしまいたい。

「おかわり、ください!」

授業中に挙手した小学生男子(低学年)のようにはつらつと言い放ったルビーに、ミチが眉を寄せた。

「大盛はもうダメだ。半分にしとけ」

そっけなくカレーをよそい始めたミチの大きな背中を見つめているだけで、なぜかまた泣きたくなってしまい、ルビーは慌ててその気配を振り払った。

同じ頃のBAR・TOUGH COOKIES Customer 7:小酒井明美(こさかいあけみ・44歳)/娘のルビーを捨てた母親


愛おしいはずの娘…ルビーの顔をみるとPTSDの発作を引き起こす。幼いルビーを思い浮かべれば、なんと残酷な状況なのだろう。ともみは歯がゆい気持ちで聞いた。

「施設に入る前に…迎えに行くことはできなかったんですか?」
「行ったんです。でも…ダメでした」
「ダメ…とは」

そう聞いてから、ともみは今更ながらとハッとしてしまった。

「すみません、こういう風に思い出させてしまうことも、ダメだったりするんではないでしょうか」

「完治することはないと言われているんですけど、今はもうほとんど大丈夫になったというか…過去のことを話しても、発作的なものは出なくなりました。でもそう言えるようになったのもつい最近で。お医者さん曰く、最初のトリガーは、ルビーちゃんとあの人が…父親が似ている、ということからだったんですけど…」


「私が弱すぎたから………随分長い時間がかかってしまったんです」

明美の表情が痛みに耐えるように歪んだ。

「数年たっても症状がなかなか改善しないことを、お医者様には、罪悪感によっても症状が引き起こされ始めていると言われました。ルビーちゃんと離れて暮らしている自分は母として最低だ。母の死も家業が失われたことも、自分のせいだという罪悪感が、後悔すればするほど、強くなっているのではないかと」

声がかすれ、小さくせき込んだ明美にともみはお茶をすすめ、自分も、すっかり冷え切り苦みが増した白茶を、少しだけ口に含んでから、遠慮がちに切り出した。

「ルビーが施設に入ることになった経緯を、もう少し詳しく聞かせてもらっていいですか」

明美は小さく頷き、誰かに話すのは初めてです、と続けた。

唯一の肉親であった母を亡くし、家業も他人の手に渡ってしまい頼れず、自らは病を抱えフルタイムで働ける状況ではない。医師の判断により明美の入院は長引いてしまっていて、ルビーは明美の母が長い間懇意にしてきた、実家の二軒隣の老舗呉服屋の家族が預かってくれていたという。

「そのご家族には、ルビーちゃんと同じ年頃の女の子がいて。妹ができたみたいで楽しそうだから、いつまでだっていてくれていいのよって、おっしゃってくださいましたけど、もちろん、そういうわけにはいきません。何より私が一刻も早くルビーちゃんと暮らす生活を取り戻したかった」

お世話になるための生活費を呉服屋の家族に渡し続けながら、明美は実家の顧問をしていた弁護士に相談。すると、養育費を受け取るべきだと提案された。それが母娘の生活の足掛かりになるはずだと、アメリカに帰っていたルビーの父親の居場所を、探し出してくれたというのだが。

「私が連絡した時にはもう…遅すぎたんです。彼が提案してきた時に、たとえ手切れ金だと言われても、ルビーちゃんのためにもらっておくべきでした。私は自分の気持ちばかりを優先してしまった」と、明美は唇を噛んだ。

金はない、だから支払えないと断られたのだという。事業の失敗により、アメリカでもいくつかの訴訟を抱えているからという理由で。ならば、と弁護士は明美の母が望んでいたように、重婚を理由に民事裁判を起こして、とれる限りの賠償金を勝ち取り、養育費に回そう、と提案した。

「勝っても数百万かもしれないけれど、罪を犯した人が裁かれないのはおかしいし、闘ってその先の交渉につなげましょう、と弁護士さんはおっしゃって。過去の判例なども調べ始めてくださったんですが…」

重婚の証明をするには、男性がアメリカで婚姻を結んでいた時期に、明美とも結婚していたことを法的に証明しなければならないが、アメリカには、日本のように入籍も離婚も戸籍を見れば一目で分かるというシステムが存在しない。結婚許可証(マリッジライセンス)の記録はあっても、離婚となると裁判所に届けて認められる、という流れになるため、その判決文を探さなければならないという。

そのため、“ルビーの父親が結婚を続けていた期間”を簡単には明確にすることができない。さらにアメリカでは、州ごとに制度が違う。つまり、全州の記録を調べ上げなければ「明美と結婚した時には、アメリカのどこかの州で、既に離婚していたかもしれない」という可能性を、完全に否定することはできない、ということになる。

「弁護士さんはアメリカの制度をある程度ご存じだったようで、難しいのは承知でやれるだけやってみようと、アメリカの法律事務所と連携して動いてくださいました。でも、1つの書類を取り寄せるにも、数か月必要で…訴えるための準備をするだけでも、とても時間がかかってしまって…」

そして、明美が再度裁判を起こす前に、ルビーは施設に入ることになってしまった。間に合わなかったのだ。

「母が遺産を少しだけ残してくれていました。でもアメリカの弁護士さんへの支払いもありましたし、近いうちにそのお金も尽きてしまう。職を探すのはもちろんなんですが、ルビーちゃんと生活していくための補助制度などを知るために、区役所の方に相談に行きました。そしたらその後、児童相談所の方が訪ねてこられたんです」

頼れる身内はおらず、いつ倒れるかわからない重度の精神疾患。それにより経済的安定も見込めない、ということから、当時の明美には、ルビーを守り、安全に育てていくための育児能力がなく、むしろルビーを危険にさらしてしまう、というのが、児童相談所にの最終的な判断だった。

「相談所の方は、私のお医者さまにも意見を聞かれた上で、当時の私には、ルビーちゃんを安全に育てることができないと判断されました。そして言われたんです。一緒に暮らしたいあなたの気持ちは十分理解している。あなたが愛情のない母親だとは思いません、でも、例えば、あなたが火を使っている時に発作が出て、火事になったらどうしますかと。あなたはお子さんも危険にさらすことになるんですよ、と。そして、あなたが倒れる度に、娘さんには恐怖が芽生えて育っていきます。いつお母さんがパニックになるのかわからず、怯える状態が続くということにもなると思います。それは幼い娘さんの心に負荷をかけ続けることで、健全な家庭環境だとはいえないのです、とも。

娘さんのためを思うなら、今はまず、あなたの病を治すことを優先しましょう。一緒に暮らせる日を目標にしてくださいと。それまで私たちが責任をもってお預かりしますから、って…」

口調はとても優しかったんですけどね、と明美は目を伏せた。

「ルビーちゃんが施設に入る日に、入院先から会いに行ったんです。でもたぶん私が…ルビーちゃんと離れることが怖くて…相当よくない状況だったんでしょうね。今ルビーちゃんの前で私が発作を起こしてしまうと、それが今度はルビーちゃんのトラウマになってしまう可能性もあるのだからとお医者様に諭されて……。直接会うことはできませんでした。

だから、施設の方に相談して……遠くから…ルビーちゃんが施設に入っていく姿を見送ることしか…」

その後明美は、入院したままという状態の中でも、なんとか日本で裁判を起こしたが、アメリカ全州の記録は調べ上げることはできておらず、離婚歴の有無を証明することができなかった。その結果、重婚の証拠も出せずに敗訴。再度訴えるには、アメリカでの再調査が必要となるが、もう資金は底をついていた。



敗訴の数か月後、医師から退院を許された明美は、小さなワンルームのアパートで独り暮らしを始めた。ルビーとの面会は月に一度、しかも医師の付き添いが必要と定められていた。

「施設に手紙を送りたくて想いを書こうとすると、文字が書けなくなったり、別れた頃のルビーちゃんと同じ年頃の女の子を見て動けなくなってしまったり。ルビーちゃんに会えたのは私の状態が良いときだけでした。施設の前まで来て状態が変わって、今日はダメだと判断されたこともあります。そんなことばかりを繰り返してしまって……だからずっと…本当にルビーちゃんに申し訳ないし、情けないです」

それでも、明美は諦めていたわけではなかった。

ルビーと暮らすためには、まずは安定した職が必要だと、得意の英語を活かして翻訳の仕事についた。雇い主にも自分の体調が万全ではないことを話し、ならばリモートでの仕事で、と受け入れてもらえたのだ。

けれど皮肉にもその「得意な事」が今度はトリガーとなってしまう。イギリス人作家とのリモート会議で発作を起こしてしまったのだ。年齢が別れた当時のルビーの父親に近かったことや、英語のアクセントや声のトーンが似ていたのではないかと医師に診断され、英語の仕事からは離れなければならなくなった。

好転したかと思えば後退する。まさに一進一退を繰り返す症状に合わせればできる仕事は限られていて、今日まで様々な職を点々とし、居を移してきたのだという。東京ではなく地方で暮らしたことも1度や2度ではないらしい。

「それでもルビーに会いには行かれていたんですよね?」
「ええ。ルビーちゃんが小学校を卒業する頃から、会うことを拒否されることも多くなっちゃって…会える時は、ですけど。今は、宮城に住まいを移してから、もう1年近く経ちました」

なぜ宮城に、ということも聞きたかったが、ともみには先ほどから気になることがあった。

― なぜルビーは…。

明美が男性を選んで自分を捨てたと思っているのだろうか。確かに、ルビーの父親と恋に落ちた経緯を聞く限り、恋愛体質ではあるのかもしれない。けれどルビーと離れた理由は、明美が病により職につけず不安定で、ルビーを危険にさらす可能性があったからなのに。

自分といることで母親が発作を起こすという事実は幼い子どもにとっては酷すぎる。だから本当の理由を告げられなかったとしても、その事情は分かるけれど…と問いかけようとしたとき、明美が先に口を開いた。


「ルビーちゃんはともみさんから見て…どんな女性でしょうか?」

穏やかな微笑みに、ともみは疑問を飲み込んだ。そして、「表す言葉が多すぎて迷いますね」と、表現を探していく。

「誰かのために本気で泣くことができる、愛に溢れた人です。私も何度も助けられて、甘えさせてもらっています。私より随分年下ですけど、困った時には必ず助けてくれる、包容力のある人でもあります。とにかく本当に…優しい、優しすぎる人です」

人を嫌い、恨んで憎み、社会への復讐を考えたとしても仕方がないほどの過酷な環境で育ちながら、なぜ彼女は、あんなに真っすぐに光の方へと生きていくことができているのだろうと、今日改めて、ともみはとても驚いている。

そうですか…と明美は今日一番の笑顔を見せた。

「ルビーちゃんがそんなに素敵な女性になれたのは、きっと光江さんのおかげです。光江さんに出会わせることができた。それだけが……私があの子のために、してあげられた、唯一のことかもしれません」


▶前回:夫と別れたあとの後遺症がひどくて…。妻でも母でもなく、女として生きた彼女の末路

▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱

▶NEXT:1月27日 火曜更新予定

配信元: 東京カレンダー

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