東京メトロ東西線・JR山手線・西武新宿線が乗り入れるターミナル駅・高田馬場。新宿駅と池袋駅のちょうど中間にあり、東西線で一駅隣にある早稲田大学の学生が盛んに利用することもあって、独特な雰囲気をまとった学生街として有名だ。
高田馬場駅の周辺は早大生をはじめ、地域の学生諸君を吸い寄せる繁華街である。とりわけ近年では中華系・東南アジア系の店舗が次々に進出し、急速に無国籍タウン化している。
そんな喧騒感に満ちたエリアの片隅、鉄道とビルの狭間にひっそりと営業していたバラック小屋のような飲み屋横丁が、2025年の夏に「実は不法占拠だった」としてちょっとしたニュースになった。
跡地の現在の状態は、どうなっているのか。不法占拠の建物がなぜ、昭和から令和まで長らく残っていたのか。現地レポートを交えつつ筆者なりに想像を巡らせたい。(以下、本記事では該当する店舗群を『バラック横丁』と仮称する)
高田馬場のシンボル、BIG BOX。写真右は西武新宿線の高田馬場駅◆「早大生の街」高田馬場に潜んでいた元・不法占拠地帯
近年の高田馬場周辺はチャイナ&アジアンタウンになりつつある高田馬場は休日のみならず、平日でも多くの学生やビジネスマンが行き交う街だ。1910年(明治43年)に山手線駅が開業、1928年(昭和3年)には西武新宿線の駅が現在の位置に移動し、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)には地下鉄東西線が開業して、現在の高田馬場駅が出来上がった。
西武新宿線とJRの高架に挟まれた高田馬場駅西武新宿線とJR山手線の合間にある駅入口は、その外見に差異はあれど、骨格や構造は昭和40年代のまま。3線を合わせた1日乗降者数は実に80万人を越え、全国でも第10位。第9位の新橋駅に次ぐ規模だが、とてもそうとは見えない小さな駅である。
さかえ通りは若者向けクラフトビール店から渋い居酒屋まで店舗が様々また、東西線の開通をきっかけに、高田馬場は「早稲田の門前町」となった。駅から直近の『さかえ通り』をはじめ、この地域には早大生向けの飲食店や居酒屋が乱立。夜になれば学生の溜まり場となる駅前ロータリー広場を、西武鉄道の所有する高田馬場のシンボル『BIG BOX高田馬場』が見下ろしている。(※以下『BIG BOX』)
バラック横丁(仮称)の上を通過する西武新宿線BIG BOXやロータリーから、早稲田通りを挟んですぐ反対側にあったのが、当記事で紹介するバラック横丁……その跡地である。
◆往時の姿は影も形もなく
寿司屋があった部分。写真右が稲門ビルバラック横丁があったのは、『マクドナルド』や『くら寿司』が入居する『稲門ビル』と、西武新宿線の間にある壁面沿い。まさに「狭間」というべき場所だ。
かつてはここに10件ほどの激シブな飲食店などが営業しており、とりわけ早稲田通りに面した寿司屋は名店としても知られていた。往時の姿はGoogleストリートビューなどで確かめられるが、現在はいずれも跡形もなく解体されており、そこにお店があった事すら想像しがたい。
ここに店があったとは想像しづらいほど荒涼としている現在は殺風景な壁面と砂利、その周りを囲むフェンスだけが残されている。この場所は元より西武鉄道の所有であり、バラック横丁は全体が不法占拠状態であった、当然ながら現在は立ち入り禁止である。
バラック横丁を下側から撮影。前後幅の狭さが如実に表れている真横から見ると、その前後幅はどう見積もっても1m~2mの範囲内。「こんな狭い場所に、どうやって多くの店舗が長年張り付いていたのか?」「上水道や下水道、電気はどうやって確保していたのか?」という疑問が湧いてくる。
何となく防空壕を思わせる謎のスペースまた、以前は大半が建物で隠されていたトンネル状のスペースも、現在はフェンス越しに丸見えになっている。ここも本来は西武鉄道の管轄内であるはずだ。やはり飲食店などの人々が、生活や仕事に活用していたのだろうか。
健在だった頃は高田馬場の風景として違和感なく馴染んでいたはずの建物群が、去ってしまった後には、そこに建物があったことすらそもそも疑わしい気配すらある。さながら幻のようなバラック横丁は、なぜ成立しえたのか。ここからは「高田馬場」「不法占拠」を軸に調べた内容をベースに、筆者の推察を書いていく。