港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:「気づいたら好きになってた…」“妹みたいな存在”から抜け出せない23歳の切ない片思い
「ルビーは、中学を卒業してすぐに、この辺り…西麻布や六本木あたりで働くようになって。あの子は、実年齢よりはかなり大人びて見える子だったので」
と、ルビーの母親、小酒井明美はハンドバッグから携帯を取り出して操作すると、ともみに1枚の写真を見せた。
背が高い制服姿の女の子が、人の良さそうな高齢の女性の肩に手をまわし、何がそんなに面白かったのか大きく口を開けて笑っている。
「ルビー、ですね」
「はい、中学の卒業式の日の写真を…良い写真だからって、施設の方がこっそり送ってくださって」
写真は何枚もあるようだった。見せてもらっても?と聞いたともみに、明美がもちろん、と携帯を渡す。
同じ制服を着た女の子と2人でギャルピースをした、自撮りのようなアップの写真や、集合写真などを数枚スワイプし、ともみは少しホッとした。
― 自然に笑ってる。
自暴自棄に生活を荒らしても仕方のない環境で育ち、内に沢山のものを抱え込んでいただろうに、ルビーの笑顔は大きかった。集合写真ではいつも真ん中にいるし、幼い子供たちに懐かれ、取り囲まれている様子からも、ルビーがこの施設でいかに愛され、人気者だったのかが伝わってくる気がした。
― でも確かに、今とあんまり変わらないな。
くりくりのロングヘアーに褐色の肌。大きな瞳やぽってりとした厚い唇という外国の血を強調するその特徴以上に、制服が似合わない…と気になってしまうほど、大人びていて、今より妖艶に見えるくらいだと言ったら、ルビーは怒るだろうか。
「ありがとうございます」
ともみが携帯を返すと、明美は画面から目を離さぬまま言った。
「これが、私が持っているルビーちゃんの写真の全てなんです。この頃、症状がようやく好転し始めて、お医者さんからも薬を減らしてもいいと言われて。写真を受け取っても大丈夫だろうと」
「それまで…写真もダメだったんですか?」
力なく頷いた明美に、ともみはやるせない気持ちになった。明美は愛した男…ルビーの父親に裏切られて以来、父親に似ているルビーをみるとPTSDを発症するようになった。幼い子どもが成長していく、その様子を写真で受け取ることさえ、この人はできなかったというのか。
明美の症状が落ち着いたのは、ルビーが中学3年生になった頃で、このままいけば一緒に暮らすことも可能になるかもしれない。そう診断され、明美はルビーに約2年ぶりに施設に会いに行くことができたのだという。
でも、もう、遅すぎたんですよね、と弱々しく明美は微笑んだ。
「お医者さまが別室で待機してくれていましたけど、ルビーちゃんと会っても発作は起こらなかった。私はうれしくて、うれしくて、一緒に暮らせる日を夢見て、希望を持ちました。
でもそこで、ルビーちゃんに……」
明美はぎゅっと唇を噛んだ。
「もう連絡してこないで、と言われてしまって。高校には行かない。自分で働いて暮らしていくし、自立するって。仕事のあては見つけたからって。……まだ14歳だったのに…」
「その仕事が、西麻布、だったんですか?」
ともみの問いに明美は、薄い唇をさらに固く結んでから、続けた。
「なんとか、思いとどまってほしくて、もうすぐ一緒に暮らせるかもしれないと、伝えたんです。でも呆れたような顔をされてしまって。それはそうですよね…私も、その日に言うつもりはなかったんですけど…」
私、焦ってしまったんです、と明美は顔を歪ませた。
「私にそんなこと言う資格はないかもしれない、でも、なんとか高校には行って欲しくて。私と一緒に暮らすのがイヤでも、まだ働く必要はない、学費のことなら心配しなくてもいいと伝えたんです。でもルビーちゃんは、もう本当に冷静で、怖いくらいで…」
あの時の静かな目が、ずっと忘れられません、と明美は携帯を握る手にぎゅっと力を込めた。
「高校でやりたいこともない。それよりも早くこの施設を出て自由に暮らしていきたいと」
それは施設のことを考えての言葉でもあったと、明美はあとで知ったのだという。
「ルビーちゃんがお世話になっていた施設は、都の委託を受けた社会福祉法人が運営してくださっていて…私も寄付という形で毎月お金を送らせて頂いていたので、予算に余裕があるわけではないことは知っていたんですが……ルビーちゃんは自分がいなくなれば、施設の負担が軽くなるし、新しい子どもだって引き受けられるって、考えてたんじゃないかって。言葉にはしないけど、そういう子だからって、施設の先生たちはおっしゃっていました。
先生たちは、あなたもまだ子どもなんだから、気にせず高校に行きなさい、お母さんと暮らすのがイヤならここから通えばいいじゃないって、何度も何度も説得しようとしてくださったみたいなんですけど」
結局ダメでした、と明美は呟いた。
「14歳って…結構大人になれてしまうものですよ」
ゆっくり顔を上げた明美の瞳を、ともみはまっすぐに捉えた。子役として幼い頃から大人に囲まれて仕事をしてきたともみも、14歳の頃には、社会人としての責任感のようなものも既に芽生えていたと思う。
― ルビーの場合は、責任感とか、生易しいものじゃなかったと思うけど。
これまでルビーに感じ続けてきた、年齢には不似合いの、人間としての凄みのようなものが、望まぬ苦しみの中で育まれたものだというのなら…やりきれない気持ちで、ともみは聞いた。
「それで……ルビーは年齢をごまかして働き始めた、ってことですね。この辺りで、ですか?」
2人きりのTOUGH COOKIESに、冷蔵庫のファンの、ブーンという音が異様なほど大きく響いた。
「六本木のキャバクラでした。どうやって歳をごまかしたのかは分からないんですけど、中学を卒業してすぐに」
ルビーは今、TOUGH COOKIESでの勤務日以外は、ポールダンサーとしても働いている。以前にキャバクラで働いていたことは聞いてはいたが、まさか15歳で働き始めていたなんて。
「私がそれを知ったのは、ルビーちゃんが働き始めてから、1年くらい経った後でした。ルビーちゃんは中学を卒業と同時に施設を出てからは行方が分からなくなってしまって。ただ定期的に、施設の子どもたちに差し入れや寄付を送っていたみたいで、施設の先生たちとの連絡は続いてるとのことだったので、そこからなんとか住まいを探って…」
明美は興信所に依頼し、ルビーの働き先を特定したという。
「六本木のキャバクラ…と言えるかどうか……私が訪ねた時にはもう、働き始めて半年以上が経っていたみたいです」
年齢を詐称したルビーを雇っていたなら、明らかな違法雇用で、店も雇い主もまっとうなはずはないけれど、そんな店は今でも存在するのが現実だ。明美は、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている、と、ルビーの店を訪ねたときのことを話しはじめた。
地下鉄の駅から六本木の交差点に上がった明美は、体の大きな外国人の大きな笑い声と強い香水の匂い、露出度の高い服を着た女性たちの呼び込み、細い道にもかかわらず乱暴に入り込んできた黒塗りの高級車のクラクションとそれに怒鳴り返す黒服の男性…にいちいち怯えながらも、自分を奮い立たせて興信所から送られてきた住所を目指した。
何度も、何度も路地を曲がり、闇が深くなった行き止まりに、そのビルはあった。
― 4階、よね。
7、8階建てのビルの入り口に、各階のテナントの看板が並べられていて、ルビーが働いている店も確かにあった。
ピンクの電光文字で『ホワイト♡プリンセス』という店名が書かれた看板の上に、乱暴な手書きで『初回、飲み放題5,000円プラン』と張り紙が足されていたが、長い間放置されているのだろう。所々破けて黄ばんだそれは頼りなく、今にも吹き飛びそうだった。
店が開くのは19時からでルビーの出勤時間もいつもその頃だ、というのが興信所からの報告だった。今は18時少し前。出勤してくるルビーを捕まえたいと、明美はビルから少し離れて、入り口が見える位置で待つことにした。
携帯を取り出し、興信所からのメールを開く。興信所からは店の住所と共に、数枚の写真も送られてきていた。男性と腕を組んで歩くルビーが、今明美の目の前にあるビルに入っていくまでが連写されていて、胸の谷間も肉感的な体のラインもあらわなミニドレスが板についたルビーが、まさか15歳だとは誰も思わないだろう。
男性の体格は良く、首回りにも手首にも、さらに指にも金銀の貴金属。黒いTシャツを肩までまくり、剥きだしになった筋肉質な太い腕には、肩から手の甲まで隙間なくタトゥーが入っている。
― お客さんか…それとも…。
恋人という可能性もあるのだろうか。この男性はルビーの本当の年齢を知っているのだろうか。不安と焦りでいっぱいになりながらルビーを待ち続け、30分くらい経っただろうか。ビルの前にたむろしていた3人の男たちと目があった。
それぞれ派手なスーツを着崩し、シャツのボタンを胸どころかお腹まで露わになりそうなほどに開けた金髪と銀髪と黒髪の男たちが、ニヤニヤとお互いに目配せをしたかと思ったら、「おねぇさ~ん、誰か待ってるのぉ~?」とからかう口調で近づいてきて、明美はあっという間に囲まれてしまった。
「あれ、お姉さん結構可愛いじゃん」
「田舎から出てきたばっかりって感じ?オレ、こういう子大好物♡」
「ずっと、そこにいるよね。待ち合わせすっぽかされちゃったんじゃない?だったらさ、オレらの店においでよ、ね?」
男たちは明美を、実年齢の36歳よりも随分若く捉えたようだった。オレらそのビルの8階のホストクラブで働いてんの、とルビーが働くビルを指さした金髪に腰を引き寄せられ、明美は恐怖で固まった。
放してください、という声が震えてしまい、かわいい~と笑われながら強引に歩かせられ、銀髪の腕が肩に回り、黒髪に背中を押されて、エレベーターに連れ込まれそうになった時だった。
「その人、嫌がってるように見えるけど」
後ろから低い声が聞こえたかと思うと、明美の体が急に軽くなった。まとわりついていた、金銀黒の3人が引き剥がされたのだと気づいて、振り返ると、2m近くありそうな長身の、目の下に傷のある男性が立っていた。
「あ?なんだアンタ」
凄んだ金髪を無視して男性は、お姉さん、と明美に声をかけた。
「そいつらの店に行くの、合意ですか?」
「ち、がいます」
「じゃあ、こっちに」
ちょいちょい、と手招きされ、訳が分からぬまま明美が男性の方へ歩くと、男性は自分の背に明美を隠すように立ち、男たちに言った。
「合意じゃなきゃ、風営法違反ってことで。お姉さん、もう行っていいですよ」
男性はニコリともせず無表情のままそう言ったけれど、ルビーを待つことが目的の明美は立ち去るわけにはいかない。どう伝えようかと迷っていたとき、「アンタ、イラつくなぁ」と銀髪が、明美を庇う男性の肩を強く押し殴りかかってきたように見えた…のだが。
明美の目の前の大きな背中が揺れた、と思った瞬間には、銀髪が地面に転がっていた。明美が呆気にとられていると、またも後ろから声がした。
「あ~あ、どこの坊やだい、うちの番犬にケンカを売っちゃったバカは。狂犬になる前にとっとと逃げた方が、アンタたちのためだと思うけどね」
それが、西麻布の女帝・光江と明美の出会いだった。
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▶1話目はこちら:「割り切った関係でいい」そう思っていたが、別れ際に寂しくなる27歳女の憂鬱
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